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平和式典へ「脇役」奮闘 司会 秒刻み進行練習 放鳩 帰巣訓練を積む 広島

 原爆の日が近づき、広島市中区の平和記念公園で営まれる平和記念式典の準備が佳境に入っている。司会は、原爆が投下された午前8時15分きっかりに「黙とう」と告げるため、秒刻みでの進行練習を重ねる。空を舞うハトは帰巣訓練を積む。原爆犠牲者を悼み、核兵器廃絶の思いを世界に発信する一大行事を支える「脇役」たちの奮闘を紹介する。(西村萌)

 「黙とう」。市役所2階の講堂に、式典の司会を務める市市民活動推進課長、国重俊彦さん(53)の低い声が響く。背後には、肩をたたいて合図をしたり、式典全体の流れを見たりする同課職員2人。本番さながらの緊張感を漂わせていた。

 式典の司会は代々、平和行政担当部局の課長が務めている。初の大役となる国重さんは「身が引き締まる思い。国内外から注目を集める一大行事なのでしっかり務めたい」と語る。

8時15分に「発声」

 式典当日は、被爆者や遺族、国内外の政府関係者たち約5万人が参列する。「円滑な進行」と言うのは簡単だが、午前8時に始まる式典は、市議会議長の式辞や被爆者、遺族代表による原爆慰霊碑への献花を経て、米国が原爆を投下した8時15分を迎える。そして、世界中の人々が平和を祈るこの瞬間に、発声を合わせなければならない。国重さんは「2人とのチームワークで乗り切りたい」。

 司会には代々、母音の発声練習や腹式呼吸用体操の資料も引き継がれている。県外出身で古里のなまりが抜けず、イントネーションを台本に書き込んだ人もいるという。

 市の式典は1946年の平和復興市民大会に始まり、朝鮮戦争で見送られた50年を除いて毎年開かれてきた。式典直前に原爆慰霊碑にささげる献水は地域住民の協力で40年前に始まった。おしぼりの配布や会場案内に100人、介助者は100人、式典の冊子や切り花を配る少年、少女が400人…。大勢のボランティアが式典の舞台裏にいる。

47年から市民協力

 市長の平和宣言の終わりに合わせた「放鳩」も47年から市民の支えで続いている。始まりは10羽の白ハトだったが、今は約千羽をレースバトの飼育者たちが貸し出している。式典前夜、慰霊碑横に設置される10個のかごに飼育者がハトを持ち寄り、ネコに襲われないよう市職員が夜通し見張る。翌朝、放たれたハトは式典上空で群れになり一周。家路を見極め、帰っていく。

 安佐北区の下手敏雄さん(69)は、この春に生まれた50羽ほどを送り出す。自宅と平和記念公園は約20キロあり飛行時間は約20分。遠くから帰巣する訓練をして本番に備える。

 下手さんはあの日、生後7カ月。8月9日、県北部の疎開先から母、3歳上の兄とともに、勤労奉仕に出ていた父を捜しに市内に入り被爆した。父を翌10日に、兄を9月に亡くした。

 中には、途中でタカに襲われたり、迷子になったりするハトもいる。それでも、「市民にとって特別な日の放鳩は役割も大きい。被爆者として協力を続けたい」。下手さんは約400羽の「平和の象徴」に囲まれ、穏やかな笑みを浮かべた。

(2014年7月22日朝刊掲載)

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