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「老い」に悩む被爆建物 店舗保存なら耐震費用かさむ 寺や神社は管理者不足

 原爆の熱線や爆風に耐え、あの日を証言し続けてきた広島市の被爆建物。被爆者同様に「老い」は進み、復興を遂げた街の中で一つ、また一つと姿を消している。(加納亜弥、和多正憲)

 爆心地から360メートルに立つ広島アンデルセン旧館(中区)。被爆時は帝国銀行広島支店。ルネサンス様式の装飾を施したモダンな建物だった。本通り商店街のランドマークとして親しまれる今も、2階の北側と東側の壁は当時のままだ。

 「がれきの山の中に、外観だけを残して立っていた。中に人がうずくまっていたけど生死のほどは…」。50メートル東に住み続ける奥本博さん(84)は動員先の仁保(現南区)から戻った8月7日朝の旧館の様子をこう記憶する。自宅は焼けていた。

 建物は修復され、銀行などを経て、1967年にアンデルセングループの創業者が購入、レストラン併設のパン販売店に再生した。増改築を重ね、2002年には1億5千万円を投じ耐震補強をした。東日本大震災を受けて耐震性を高めるには、さらに費用が要る可能性があるという。

「喜ばれる店に」

 アンデルセングループは「保存ありきでなく、お客さまに喜ばれる店でありたい」。耐震調査の結果を踏まえて改修工法を詰め、取り壊すかどうか来年3月までに結論を出す方針だ。「企業の発展を思うとやむを得ない。漫然と保存するより本当に実態が伝わる方法を考える時でしょう」。奥本さんはともに戦後を歩んだ建物を見上げた。

 市の台帳に登録されている被爆建物は85施設。うち民間企業が所有する10施設のうちアンデルセンなど7施設の所有者は、中国新聞のアンケートに「保存に不安がある」と答えた。

 一方、被爆建物の6割を占めるのが寺や神社。住職が地域の子どもに被爆体験を語り継ぐ活用例もあるが、多くはやはり老朽化や管理者不足に悩む。

 爆心地から約3キロの浄修院(西区)の本堂は木造で築88年。爆風で屋根や建具が剝ぎ取られた。今は雨漏りや傷みが目立つ。修復の浄財を寄せてくれていた信者は高齢化し、最盛期の10分の1にまで減った。3代目の橋本定円住職(84)は「昔ほど寄付は集まらないし後継ぎもいない。私の代で畳むつもり」という。

住職おらず抹消

 既に「廃寺」となった被爆建物もある。観音寺(東区)の先代住職は45年前に亡くなり、04年に寺院としての登録を抹消した。僧籍のない親族が管理しているが「門徒もおらず、寺を訪れる人もいない。いずれ解体するしかない」。

 所有者に保存・活用を呼び掛ける広島市も、広島大旧理学部1号館(中区)の方針決定について「なるべく早く」(担当課)と歯切れが悪い。震度6強以上の地震で倒壊する恐れがあり、全て保存するには40億円がかかる見通しで、モニュメント化も視野にする。

 被爆建物の活用を求める市民団体「旧被服支廠(ししょう)の保全を願う懇談会」の中西巌代表(84)は「今は被爆建物をただ放置している一番良くない状態。行政も市民も協力し、活用の方針を本気で考えないと今後の劣化は進むばかりだ」と指摘している。

(2014年7月26日朝刊掲載)

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