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「回天」の少年 心に今も 自分への恋心秘めたまま戦死 85歳女性 呉の海に毎夏冥福祈る

 毎年7月29日、呉市の海に向かい手を合わせる女性がいる。自分への恋心を秘めたまま人間魚雷「回天」で出撃した17歳の少年の冥福を祈るためだ。終戦後に遺書を受け取り、初めて思いを知った。「もっともっと話をしておけばよかった…」。85歳になった今も胸はうずく。ことしも海辺にたたずみ、手を合わせた。(小笠原芳)

 同市天応大浜の海岸。女性は「ことしも来たよ」と心の中でささやき、水面を見つめた。そして1歳年上だった川尻勉さんの面影を思い浮かべた。「海に来ると会えるような気がする。古里に来たような懐かしい気持ちになる」。顔の前で両手を合わせた。肩が小刻みに震えていた。

 知り合ったのは今の周南市、回天の訓練基地があった大津島だった。女性は1944年に学徒動員され、基地で回天の航路を伝える通信係をしていた。島の宿舎で寝泊まりした。

 男女の会話は厳禁。だから会釈をする程度だった。にもかかわらず45年7月上旬、呉市の実家に戻っていたら川尻さんが前触れなくやってきた。出撃前の休暇という。古里は北海道、家に帰れないからと言っていた。自分に会いに来たとは気付かなかった。

 大津島に戻った川尻さんは同月14日、訓練場を出発した。「戻らないと分かっている。悲しくなるだけ」と見送りに行かなかった。

 終戦後、川尻と名乗る男性から電話があった。「出撃しなかったんだ」。呉市内の待ち合わせ場所に急いだ。だが待っていたのは別の男性だった。「彼は戦死しました」。川尻さんから預かったという手紙を受け取った。遺書だった。

 楽しみにしていたのに君は見送りに来なかった。でも、考えれば会わない方が良かったようにも思う―。

 彼の胸の内を初めて知った。「頼りがいのあるしっかりした人だった。私も強く生きなければ」。その後何度かお見合いをした。だが相手の男性と川尻さんを比べてしまい、踏み切れなかった。仕事を持ち、1人で生きてきた。

 夏が来ると海に向かう。祈りにふさわしい場所を探す。「街の景色も変わり、みんなの記憶から戦争は消えていくんでしょう。でも私は違う。彼の思い出、戦争の痛みはずっと消えません」

人間魚雷「回天」
 多量の爆薬を積んだ魚雷に1人乗りの操縦室を取り付けた特攻兵器。旧日本軍が1944年に採用した。潜水艦に搭載し、20歳前後の若者が乗り込み敵艦に体当たりする。周南市の大津島などに訓練基地があった。同市にある回天記念館によると、訓練を受けた搭乗員1375人中、整備員なども含めて死者は145人に上った

(2014年7月30日朝刊掲載)

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