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連載・特集

アニメーションフェス30周年 広島から世界へ <中> 広がり 多くの才能 互いに刺激

 「プロのアニメーション作家として道を究めようと心に決めた大切な場」。愛らしい芋虫が主人公のクレイ(粘土)アニメーション「ニャッキ!」で知られる伊藤有壱さん(51)=横浜市=は広島国際アニメーションフェスティバルをそう位置づける。

 NHK教育で人気のニャッキ!の誕生は広島抜きに語れない。伊藤さんは、1994年の第5回祭典中、「ウォレスとグルミット」で米アカデミー賞に輝いた英国人作家ピーター・ロードさんのワークショップを受講。面識もないままスタジオ見学を申し込んだ。

 その後、数回の手紙のやりとりを経て実現。「僕のアイドルともいえる作家のスタジオで制作風景を目の当たりにし、これ以上ない刺激になった」。それを機に表現手法はコンピューターグラフィックスからクレイアニメーションへ。翌年ニャッキ!に結実する。

 初参加は第3回。「見渡すところに尊敬する作家がいてきらきらまぶしかった。憧れの人に夢中で質問した」と懐かしむ。東京芸術大大学院の教授となった今、学生に祭典への出品や参加を促す。「広島で育った多くの作家が教える立場。新たな才能を育てることで応援したい」と力を込める。

 世界4大アニメーションフェスティバル全てでグランプリに輝く山村浩二さん(50)=東京都=は大学2年の夏、夜行列車で第1回祭典に参加。油粘土などを用いた斬新な技法のインド人作家イシュ・パテルの特集に魅せられた。アニメーションの無限の可能性に触れ「進むべき道を確信した」と振り返る。

 その影響で粘土と光で表現する卒業制作を第2回に出品し、初入選。その後、グランプリを2度獲得するなど、ほぼ毎回参加し「一流の作家や最新の作品に触れ、作品づくりの指針にしてきた」と語る。

 多くの作家が目標とする祭典。応募作品数は初回の451点から15回目のことしは2217点にまで増えた。国際名誉会長を2度務めたベルギーの作家ラウル・セルヴェさんは「作家にとって理想的な交流の場。温かいもてなしや大会運営も素晴らしい」と語る。

 支えるのが公式ボランティア「ラッピー友の会HIROSHIMA」だ。「より多くの作家が集まるようになれば」と三戸康子さん(48)=広島市東区。パーティーや日本文化を体験するホームステイ…。さまざまな形で海外作家を迎える。「一流の表現者が集う、またとない場。平和を思う広島の心が伝われば、その発信にもつながるはず」

 期待に応えるかのように、第10回(2004年)の国際審査委員長を務めた故ジミー・ムラカミさんは、核兵器の恐ろしさを訴えるアニメーション制作を始めた。何度も出品し、第12回(08年)の「つみきのいえ」でヒロシマ賞と観客賞に輝いた加藤久仁生さん(37)=東京都=は、参加時に初めて原爆資料館を見学。「悲惨さが今も心に残る。そこで感じたことは自分のフィルターを通し、作品に反映されると思う」

 被爆地の思いを発信する装置として大きな役割を持つ祭典。セルヴェさんは「アニメーションは平和を訴えるのにふさわしいアート。平和を願う作家たちが、戦争の傷痕を残す広島に集うのは意義深い。情熱と熱意を持続し、歩み続けてほしい」と期待する。(余村泰樹)

(2014年8月13日朝刊掲載)

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