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国際シンポジウム「信頼醸成から核廃絶へ」 李鍾元氏 基調講演 

国際シンポジウム「信頼醸成から核廃絶へ」(2014年8月2日)

第1部「どう築く東アジアの信頼醸成」基調講演

「東アジア」地域形成への課題 ―なぜきしむ東アジア

李鍾元
リー・ジョンウォン
(早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授)

 本日は、この意義深い会議にお招きいただき、大変光栄に思います。

 広島市立大学、広島平和研究所ならびに中国新聞の関係者の方々に深くお礼申し上げます。

 本日のシンポジウムのキーワードは、「信頼醸成」です。「信頼醸成措置」とは、冷戦期のヨーロッパで東西陣営間の軍事的緊張を緩和し、戦争を防ごうとする試みから生まれた概念です。「信頼醸成」をテーマとして取り上げること自体が、今日の東アジアの状況が単なる政治、外交的な対立にとどまらず、軍事的な衝突にまで発展する危険性を孕(はら)んでいることを物語っています。先般、尖閣諸島をめぐって、日中の戦闘機が30メートルまで異常接近する出来事があり、南シナ海では、中国の石油掘削をめぐって、中国とベトナムの船が衝突する事態になりました。

 今年は第1次世界大戦の勃発からちょうど100年という節目の年です。第1次世界大戦がはじまる3年前の1911年に「第2次モロッコ事件」が起きます。その状況を目睹して、ドイツの思想家シュペングラー(Oswald Spengler)は、「いまヨーロッパは集団自殺に向かって突き進んでいる」と警告を発しました。第2次モロッコ事件とは、北アフリカのモロッコにおける権益をめぐって、新興勢力のドイツが砲艦外交を展開し、武力による現状変更を試みたことで生じた国際紛争でした。危機そのものは何とか収束しましたが、以後、ドイツと英仏との間の対立はエスカレートし、第1次世界大戦という未曽有の惨劇に突入します。シュペングラーは、武力外交の台頭、大衆の政治参加によるナショナリズムの高まり、好戦論のエスカレーションから、大きな戦争に至る可能性を危惧し、警鐘を鳴らした訳です。シュペングラーが『西洋の没落』(1918~1923年)の着想を得たのもこの事件であったといいます。

 今の東アジア情勢がちょうど100年前のヨーロッパの状況と似ているのではないか、という議論があります。各国で「富国強兵」やナショナリズムの風潮が強くなり、摩擦が増大する状況が、第1次世界大戦前のヨーロッパを彷彿(ほうふつ)とさせるということです。

東アジアは、こうした「古いヨーロッパ」の前轍(ぜんてつ)を踏むのか。それとも、その反省に基づき、新たな世界史的な模索を続けている、20世紀後半以後の「新しいヨーロッパ」の試みを共有するのか。いま、東アジアは大きな歴史の分岐点を迎えています。

東アジアはなぜ軋(きし)むのか

 まず、東アジアはなぜ軋むのか。いくつかの側面から考えてみたいと思います。ヨーロッパをはじめ、世界の他の地域では、地域統合が一つの潮流となっています。紆余(うよ)曲折を経ながらも、ヨーロッパ連合(EU)は制度化を進めており、「アフリカ連合」(AU)や「ラテンアメリカ・カリブ海共同体」など、地域統合をめざす動きは冷戦終結後の趨勢(すうせい)です。ASEAN諸国は来年の2015年に「安全保障共同体」など三つの共同体の実現を掲げています。

しかし、こうした動きとは対照的に、日中韓の間では、ナショナリズムによる「縦割り」の競争と摩擦が激化しています。その背景として、よく領土問題と歴史認識をめぐる対立があげられます。確かに重要な争点ですが、それらの問題は以前から存在していました。問うべきは、なぜ今、これらの問題が争点として浮上しているのか、という点です。

 まず、第一に、少しマクロな要因ですが、東アジアの地域構造が内包している著しい不均衡があります。つまり、域内諸国の間に大きな格差があり、それを一つの要因として、垂直的・序列的な地域秩序観がいまだに強く存在しているという問題です。単なるサイズの格差ではなく、ある種の「帝国」的な秩序やイメージが残っています。世界史は「帝国」が分解し、より分権的かつ水平的なシステムへの転換を模索するプロセスともいえます。ヨーロッパも当初は帝国的システムでありました。その一元的・垂直的な秩序が解体し、誕生したのがウェストファリア体制、すなわち近代的な主権国家体系であります。実態はともあれ、形式的には国家間の対等性・平等性に基づく水平的な地域秩序であり、ある種の多元的な共存のシステムでありました。

 ところが、アジアでは、伝統的な帝国的秩序が残存したまま、西欧の衝撃の下、主権国家体系を受け入れ、国民国家形成(nation-state building)が進められました。中国やインドのように、「帝国」的な側面を内包する国々が主権国家の形式を持つことになり、域内の著しい不均衡状態を反映して、垂直的・序列的な地域秩序観がいまだに根強く残ることになりました。

 第二に、さらにその問題性を増幅させる要因として、東アジアの地政学的な変容があります。「中国の台頭」に集約されるパワー・トランジション(勢力転移)であります。一般的に地政学的な変容期には、ナショナリズムが刺激されやすくなります。しかも、東アジアにおいては、その過程が植民地支配や侵略戦争といった近代史の記憶と結びついています。中国研究者の毛里和子氏は、いま日中韓の3国はそれぞれ「リベンジに燃えている」と表現したことがあります。確かに、近代的な主権国家(国民国家)づくりという側面から考えると、日中韓はそれぞれ「未完成」の状況にあるといえます。中国と韓国はいまだ「分断国家」の状態にあり、ある視点からすると、平和憲法の日本は、軍事的主権を持たない「半主権国家」(P・カッツェンスタイン)ということになります。中国の習近平主席は「中華民族の偉大なる中興」という「中国の夢」を国家目標として掲げ、日本の安倍総理の選挙スローガンは「日本を取り戻す」でありました。韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は、「統一テバク(大当たり)論」を提唱しました。経済の面では、相互依存が深まり、「脱主権国家化」が日常的になっている半面、各国の政治や社会では、むしろ「主権」への拘(こだわ)りが強くなり、ナショナリズムが台頭しやすい土壌が生まれています。

 第三のファクターは、「グローバル化」の潮流と、それへの対抗としての「アイデンティティの政治」(identity politics)というダイナミズムです。「グローバル化」とは、一言でいうと、国境の壁が低くなる現象です。ヒト、モノ、情報が大量に国境を越える時代です。

「グローバル化」には光と影の両面があります。経済の効率や企業活動という面では、「グローバル化」の便益はすでに日常化しています。世界規模に広がった市場を舞台に、生産活動は盛んになり、自由な競争でモノの値段も安くなっています。 しかし、その半面、「グローバル化」の影の部分も少なくありません。ここでは、「不安」と「不満」という二つのキーワードに要約したいと思います。まず、国境が低くなることに伴う、「不安」の増大です。モノだけでなく、外から大量にヒトも入って来るのが「グローバル化」です。物理的に自分を守ってくれる国境が低くなり、自らの周りに「異質」のものが増えます。その結果、「不安」も増幅します。しかし、経済的には、もはや国境を再び閉ざすことはできません。その代わり、心の中の国境線、目に見えない国境線として、「差別」や「排除」の心理が働き、さまざまな形の「アイデンティティ」への関心が強くなる傾向が指摘されます。「アイデンティティの政治」と呼ばれる現象です。

 新自由主義政策の下、拡大する経済的な格差への「不満」が、これにさらなる拍車をかけることになります。雇用の安定性が崩れ、社会・共同体への帰属感が揺らぐ中、孤立した個人はより大きな枠組みへの一体感を求めます。

B・バーバーの『ジハード対マックワールド』が描くように、世界的にはイスラム急進主義など、宗教的アイデンティティの勃興が焦点ですが、東アジアでは、ナショナリズムへの回帰が共通してみられます。若い世代の社会学者・高原基彰氏は、日中韓の現状について、『不安型ナショナリズム』という仮説を提示しました。その副題は、「日中韓のネット世代が憎しみ合う本当の理由」です。互いに対立している「日中韓」ですが、実は同じような状況にあるのだという指摘を含めて、的確な問題提起といえます。日中韓に共通する「下からのアイデンティティの政治」という構図をまず認識することが重要です。

 一方、日中韓の「国家」は、「上からのアイデンティティの政治」を展開しています。経済的な観点からは、国境をより開放せざるをえず、また新自由主義政策により格差が広がる状況で、いわば新たな国民統合の手段として、ナショナリズムのアイデンティティに訴えるわけです。日中韓で歴史教育が強化され、「愛国心教育」が強調される背景です。

 第4に、日中韓を中心とした東アジアでは、「民主化」の進展がナショナリズムと結びつき、国家間の対立を深める一因となっています。日中韓の3国は、狭義の「政治的民主化」では異なる段階にあります。しかし、全体的に国家や官僚主導から、市場、社会、世論の影響力が増しつつあるという点では、ある種の「民主化」(あるいは「大衆化」)の時代を迎えているといえます。インターネットやソーシャルメディアの発達などICT革命がその傾向に拍車をかけていることは周知の通りです。「民主主義による平和」(democratic peace)の論議が示すように、理論的に、また長期的には、民主化の進展は平和の定着に結びつくことでしょう。しかし、その移行過程では、世論の動向により、とりわけ外交が対立的、攻撃的になるケースが多く見られます。いま東アジア各国の「市民社会」の質や多様性、バランス能力が問われる所以(ゆえん)です。

 領土問題や歴史認識をめぐる対立が噴出している背景には、こうした要因が複合的に作用しています。戦後、日中韓はそれぞれ国家の思惑によって、さまざまな争点を「封印」し、「現状維持」に協力してきました。日韓、日中の間で、領土問題は長らく「棚上げ」されてきました。歴史問題でも、経済建設に主眼をおいた国家同士の間で、「政治決着」が図られ、具体的な「過去の清算」は封印されました。いま、その「現状維持」の構図が揺らいでいるわけです。「現状変化」を求める声が、新しく力を得た国家から、またそれぞれの市民社会から台頭し、対立は激化の一途をたどっています。勢力転移やグローバル化、民主化が複合的に絡み合った現象であり、その解決は決して容易ではありません。

 
東アジア「地域形成」の二重の課題

 それでは何をなすべきか。まずは、こうした現象が、特定の国に限ったものではなく、日中韓など、東アジア各国に共通して現れている現象であるという点を認識することからスタートしなければなりません。

「ナショナリズム」について考える場合、往々にして、「問題や原因は相手にある」と考えがちです。自分の行動は、「相手の行動に対する反応」ということになります。しかし、前述のように、いま日中韓で起きていることは、同じような問題を抱える状況の中で、似たような対応が現れている共通現象という視点が必要です。環境や犯罪など、国境を越えるグローバルな問題群はもとより、少子高齢化、若者の雇用、格差など、直面している課題は共通しています。また、そのような状況を背景に、ナショナリズムが台頭している点でも、日中韓は驚くほど似たような状況にあります。しかし、「鏡イメージ」のように、同じ現象について、「相手は攻撃的で、自分は反応的」という意識が乱反射しているのが実情です。状況と課題の共通性を認識することが、地域協力の第一歩になります。

 東アジアにおいても、主権国家、国民国家形成(nation-state building)の段階を超えて、地域形成(region-building)を志向する潮流はあります。社会や経済の面では、すでに一つの地域として形成されつつあります。地域統合の度合いを示す一つの指標として、域内貿易依存度があります。全体の貿易の中で、域内諸国同士の貿易の比重を表すものです。2005年の統計ですが、東アジアの域内貿易依存度は55.9%で、NAFTA(北米自由貿易協定)の43.5%を上回り、EUの65.7%に肉薄する水準です。

 さまざまな対立が続き、地域全体を包括する自由貿易協定がまだない東アジアの状況に鑑みると、この高い比率は印象的です。政治・安全保障面での軋轢(あつれき)にもかかわらず、経済的には東アジアは統合をめざすしかないという現実を示しています。東アジアの地域形成、「共同体」の形成は、机上の空論ではなく、「もう一つの現実」となっているともいえます。

 こうした「もう一つの現実」を土台に、いかに政治、外交、安全保障を含め、地域形成を進めるかが今後の課題となります。その点で、やはり「欧州経験」(European experiences)は歴史的な先例であり、政策上の教訓の宝庫です。ヨーロッパと東アジアの間の多くの相違点にもかかわらず、主権国家、国民国家の枠組みがヨーロッパからアジアに波及したように、それを乗り越えるプロセスも共有できるはずです。

 戦後ヨーロッパにおける地域形成には二つのプロセスがあり、相互に補完しつつ、展開されたことに注目する必要があります。その一つは、いうまでもなく、「EUへの道」、すなわち主権国家、国民国家を乗り越えて、「ヨーロッパ共同体」をめざす地域統合のプロセスです。米ソ冷戦終結後、「拡大と深化」を少し急ぎ過ぎ、その反動として、「反EU」の動きが表面化していますが、少なくともEU域内で国家間の戦争の可能性はほぼなくなり、「不戦共同体」(no-war community)、「安全保障共同体」(security community)が実現したことは、近代主権国家体系に根本的な変容をもたらした世界史的な出来事といえます。

 もう一つは、「ヘルシンキ・プロセス」に集約される、冷戦対立の克服をめざす東西ヨーロッパの交流、共存、協力の試みです。1975年から本格化した欧州安全保障協力会議(CSCE)のプロセスは、冷戦の平和的終結、さらに東欧諸国の民主化に寄与し、より大きなヨーロッパの統合を可能にしました。その過程で、「相互抑止(mutual deterrence)から相互安心(mutual reassurance)へ」、「非挑発的防衛(non-provocative defense)」を謳(うた)った「共通の安全保障」(common security)、信頼醸成措置(CBMs)など、国家間の対立や紛争を乗り越えるさまざまな概念や制度を生み出し、新たな国際関係のビジョンの産室としての役割を果たしました。

 ヨーロッパでは、この二つのプロセスが互いに補完し、促進する関係にあり、最終的にヨーロッパ全体の統合を実現しました。東アジアは、この二つのプロセスをいかに連携させつつ、地域形成を進めるかという「二重の課題」に直面しているといえます。

 普段あまり認識することがないのですが、主権国家の枠組みを超える地域協力の面では、東アジアでも一定の進展がありました。「東アジア共同体」というと、日本では、「夢物語」のように思われがちですが、実は、ASEAN+3(APT)が中長期の目標として公式に掲げてきたものです。2001年、ASEAN+3の中に設けられた諮問機関「東アジアビジョングループ」(EAVG)の報告書のタイトルは『東アジア共同体に向けて』(Towards an East Asian Community)」でした。この提言がAPT首脳会議で承認され、その一環として、2005年、東アジア首脳会議(East Asia Summit=EAS)がスタートしました。

APTは主として経済、社会、文化面での地域協力を進めており、この間の蓄積には括目すべきものがあります。共通の課題への対応という点では、地域協力の枠組みがすでに現実の一部となっています。ここでの課題は、経済的な共通利害に基づく地域協力を踏まえて、いかに共通の意識やアイデンティティのレベルにまで発展させることができるかです。

 2003年から、「アジア・バロメーター」というアジア10カ国の意識調査が行われています。それによると、予想通り、ナショナル・アイデンティティはおしなべて高い水準です。ほとんどの国で90%を超えています。

 興味深いことに、「アジア人」というリージョナル・アイデンティティについても、ミャンマー(92.1%)、ベトナム(83.6%)、スリランカ(79.8%)など、「中小国」が比較的「健闘」しています。しかし、ワースト3には、日本(41.8%)、インド(21.4%)、中国(6.1%)と、いわゆる「大国」が並んでいます。東アジアの社会的な地域統合、さらに共通の地域アイデンティティの形成という点で、可能性と課題を同時に示すものといえます。

 もう一つの課題は、依然としてこの地域に残る「冷戦」的な対立をいかに乗り越え、さらにいわゆる「新冷戦」の台頭をいかに回避するかという問題です。東アジアにおいては、北朝鮮や中国などとの関係をめぐって、政治体制やイデオロギーの違いが依然として国家間の対立に影を落としており、軍事的緊張が重要性を増しているのが現実です。その点では、まさに「ヘルシンキ・プロセス」に集約される「デタント」の知恵と戦略が求められており、その制度化が喫緊の課題です。

 周知の通り、その土台となった「ヘルシンキ宣言」(1975年)は三つの領域(「バスケット」)からなっています。第1バスケットは、安全保障に関するもので、内政不干渉、国境の不可侵、武力行使の放棄、紛争の平和的解決などの原則を柱としました。その根底にあるのは、「現状維持」という発想です。政治体制の違い、戦後の国境線への不満などにもかかわらず、まずは現状を認めた上で、関係を構築し、相互信頼を深めていくことで、さまざまな問題の解消を図ろうとする戦略です。第2バスケットは、経済、科学技術、環境などの協力を定めたものです。相互の経済的な利害は国家や陣営の垣根を低くしていきます。第3バスケットは、人道・人権における協力に関するものです。現状の凍結にとどまらず、望ましい方向への変化の動力を内包した仕組みです。

これら三つのバスケットには、異なる体制の国々が共存しつつ、交流、協力、さらに統合に向かう道筋が凝縮されているといえます。実際、1975年から本格化した「ヘルシンキ・プロセス」は、東西陣営の軍事的緊張を緩和するとともに、ソ連・東欧社会の内発的な変化を促進し、1989年の冷戦の平和的な終結に大きく寄与しました。

 東アジアにおいても、こうした地域的取り組みが求められます。現在は中断状態にありますが、北朝鮮の核問題をめぐる六者協議にも、類似した仕組みが見られます。2005年9月19日の共同声明は、北朝鮮の核放棄と関連して、主権尊重などの第1バスケット、経済・エネルギー支援という第2バスケットの要素を取り入れた構造となっています。第3バスケットは明記されていませんが、拉致問題などがそれに該当する側面があります。北朝鮮の核問題を解決する上でも「ヘルシンキ・プロセス」のアプローチが有効であることが示唆されています。

 さらに、東アジア地域全体を包括する政治・安全保障協力の枠組みを模索しなければなりません。いま、その「候補」としては、いくつかの枠組みがせめぎ合っている状況です。ASEANや日本、アメリカは東アジア首脳会議の強化を進めており、一方、中国はアジア信頼醸成措置会議(CICA)の拡大に力を入れています。より包括的で緩やかな枠組みとしては、ASEAN地域フォーラム(ARF)があります。

 各国の利害が交錯する中、東アジアの地域安全保障の枠組みづくりにおいても、ある種の重層性は避けられないと思います。ヨーロッパ諸国も、必要に応じて、さまざまな枠組みを重ね合わせつつ、地域統合を進めてきた経緯があります。東アジアにおいても、北朝鮮の核問題に関する六者協議、日中韓の3国協力、さらに東アジア首脳会議などを連携させつつ、その中に、三つのバスケットに集約される知恵と戦略をいかに制度化していくかを真剣に考えなければなりません。近年、摩擦が増大している領土や歴史認識の問題についても、現状維持を土台とした平和的解決、普遍的人権問題としての未来志向の関係構築の課題など、ヨーロッパの経験と知恵を踏まえ、東アジアの現状に立脚した新たな第1や第3バスケットの構想力が問われています。

 その発信がこの広島の地から行われることを願ってやみません。 ご清聴ありがとうございました。

李 鍾元 リー・ジョンウォン     Jong Won Lee
      早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授。1953年韓国生まれ。国立ソウル大学中退後、1982年来日。国際基督教大学卒業、東京大学大学院法学政治学研究科修了(法学博士)。専門は東アジア国際関係、現代朝鮮半島研究。東北大学法学部助教授、立教大学法学部教授などを経て、2012年4月から現職。韓国大統領諮問政策企 画委員、米国プリンストン大学客員研究員、朝日新聞アジアネットワーク客員研究員などを歴任。大平正芳記念賞、米国歴史家協議会外国語著作賞など受賞。主な著書に、『東アジア冷戦と韓米日関係』、『国際政治から考える東アジア共同体』(共著)など。

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