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証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 江藤岩雄さん―大竹市玖波 あの日の惨状語る決意 殺しても罪でない戦争。

未来担う若者考えて

 江藤岩雄さん(82)はこれまで、被爆(ひばく)体験を語ったことがありませんでした。家族にさえ、詳(くわ)しくは語ることができなかったのです。戦後、大竹市内の繊維(せんい)工場に勤め、工場を訪れた外国人を広島市内へ何度も案内しました。その都度、原爆資料館(中区)へも連れて行ったのですが、自身は館内には入りませんでした。あの日の惨状を思い起こさせる展示は「どうしても見る気にならなかった」からです。

 被爆当時は、広島市立第一工業学校(現県立広島工高、南区)の2年生。爆心地から約3・5キロ、学徒動員先の中国配電大洲(おおず)製作所(現中国電機製造、南区)で、旋盤(せんばん)による作業の準備をしていました。

 1945年8月6日午前8時15分。突然(とつぜん)、辺りが光に包まれました。電気がショートしたような光。ガラス越しに壁の外を見ると、一面赤く染まり、屋根瓦(がわら)が舞(ま)い上がっていました。次の瞬間(しゅんかん)、強烈(きょうれつ)な爆風―。気が付いたら吹(ふ)き飛ばされ、倒(たお)れていました。丸刈(まるが)りの頭には多くのガラス片が刺(さ)さり、右腕(みぎうで)も深く切れていました。

 何が起きたのか分からないまま、一緒(いっしょ)にいた教師や生徒と学校に逃(のが)れました。近くの猿猴(えんこう)川では、衣服が焼け焦(こ)げた遺体が次々と流れてきます。学校からは市中心部で火の手が上がっているのが見えました。「尋常(じんじょう)じゃないことが起こったことだけは感じました」

 午後2時半ごろ、帰路が同じ方向の生徒5、6人と、徒歩で、玖波(くば)町(現大竹市)の自宅へ向かいました。炎(ほのお)を上げて燃える家。道端(みちばた)のあちこちに、焼けただれた遺体。それを囲んで泣(な)き叫(さけ)ぶ人…。道をふさいだ黒焦げの遺体をまたいで通っても、何も感じなくなっていました。「感覚がまひしたんですね。先を急ぐ気もあった」

 井戸(いど)の水をかぶっては灼熱(しゃくねつ)の炎をくぐり、おびただしい遺体が流れてくる川を首まで漬かりながら渡(わた)りました。庚午(こうご)(現広島市西区)に着いたころからトラックによる負傷者の搬送(はんそう)が始まっていました。「乗れ」と言われましたが、断りました。「衣服がぼろぼろに焼け、皮膚(ひふ)がめくれて人相も分からないような人々の姿が怖(こわ)かったし、失礼だが、気持ち悪かったのです」

 廿日市(はつかいち)駅(現廿日市市)からは汽車が動いていたのでそれに乗り、玖波駅(現大竹市)に着いたのは翌7日午前2時ごろ。「多くの親たちが『うちの子は』『うちの子は』と聞いてくるのですが、何も答えられませんでした」。直後から下痢(げり)が止まらず、1カ月半ほど寝込(ねこ)みました。近くの国民学校には被爆者が続々と運(はこ)び込(こ)まれましたが、多くは亡くなり、遺体を焼く煙(けむり)を毎日家から見ていたそうです。

 「つらくて思い出したくもない」体験の数々。今回、話そうと決めたのは「私はもう高齢(こうれい)。悲惨(ひさん)というしかない原爆の実情を若い世代に広めてほしい」との願いからでした。「どれだけ人を殺しても罪にならないのが戦争。二度とやるべきではない。力ではなく、言葉で物事を解決していける世の中をどう築くか。未来を担う若者に考えてほしい」と訴(うった)えています。(和泉恵太)



◆私たち10代の感想

私たちの役割 決意新た

 若いあなたたちで伝えてと江藤さんはおっしゃいました。被爆(ひばく)体験を直接聞けるのは私たちの世代が最後だとあらためて実感しました。殺人は罪なのに戦争なら人をいくら殺しても許される―そんな矛盾(むじゅん)を指摘(してき)した気持ちを受け止め、私たちの役割を真剣(しんけん)に考えていこうと決意を新たにしました。(中3・坪木茉里佳)

過去に学び 未来考える

 「思い出したくもない」と長年閉ざしていた口を初めて開いてくれました。川に流れる遺体を避(さ)け、道路をふさいだ遺体をまたいで進みながら「感覚がまひして何も感じなかった」という言葉は衝撃的(しょうげきてき)でした。受け継いでほしいとの気持ちを胸に刻み、過去に学びながら未来を考えていくべきだと強く感じました。(高1・河田紗也加)

言葉で協力関係つくる

 悲惨な体験を初めて語ってくれた江藤さんは「平和は力ではなく、言葉で築くものだ」と強調しました。世界を見ると、話し合いで他国や、異教徒と分かり合うのは難しそうです。でも相手の思いを知り自分の思いを伝え、互(たが)いに納得して協力関係をつくらない限り、悲惨な出来事が繰り返されるのではと心配です。(高1・上原あゆみ)

(2014年8月18日朝刊掲載)

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