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戦後69年 原爆の惨状 母国に響かず 韓国人犠牲者、広島で慰霊祭

 広島への原爆投下から六日で六十九年となるのを前に、広島市の平和記念公園内で五日午前、韓国人被爆者の慰霊祭があり、二万人とも言われる韓国人の原爆犠牲者の霊を慰めた。「核廃絶」を願うのは日本人と同じ。だが、日本を「加害者」として見ている国には、日本の訴えが届きにくいのが実情だ。

 慰霊祭は在日本大韓民国民団(民団)の広島県地方本部が主催し、民族衣装に身を包んだ女性らが舞をささげた。同本部団長の沈勝義(シムスンウィ)さん(57)は「北朝鮮の核開発や日本の集団的自衛権など北東アジアはいまだ平和安定とは遠い」と追悼の辞を述べ、「在日かは関係なく、広島県人として核のない平和を願っている」と語る。

 だが、日本からの願いは、母国で暮らし続ける人には少し受け止められ方が異なるという。沈さんは「日本人が被害を訴えても、『加害者じゃないか』となってしまう」と話す。

 「わしらは原爆で解放されたんだ」。在日二世の被爆者李鐘根(イジョングン)さん(85)=同市安佐南区=は、韓国に帰国した際に親戚からそう言われた。李さんにとって原爆は顔を焼かれた苦い記憶。それは「昨日のように覚えている」というほど鮮明だ。

 爆心地から一・八キロ東のJR広島駅近くで黄色い光を見た。すぐに伏せたが、手や顔、首筋にやけどを負い、傷にはうじがわいた。「髪が抜けたら死ぬ」と言われ、毎朝髪の毛を引っ張って生を確かめた。

 李さんは「韓国の若者には原爆投下の事実も、原爆でどんな惨状だったかも知られていない」と嘆く。伝わらない原爆の恐ろしい現実。沈さんは「無差別に殺す兵器で韓国人も犠牲になったと知ってもらい、在日の立場で日本人と一緒に平和を訴えていきたい」と話す。

 広島市立大広島平和研究所の水本和実教授(57)は「侵略を受けた国だけでなく、米国でも原爆がなければ米軍犠牲者が百万人多かったという説が広まり、投下を正当化する声が根強い」と指摘し、「悲惨さだけでなく、武力で解決しようとした戦争の文脈の中で原爆投下を位置付け、非人道性を語っていく必要がある」と話した。(社会部・中崎裕)

(中日新聞8月5日夕刊1面掲載)

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