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胎内被爆者 5日に全国組織発足 呼び掛け人の広島・三村さん 証言活動通じ体験継承

記憶なき原爆 苦難と葛藤 兵庫にも158人

 広島、長崎の原爆投下時に胎児だった被爆者が集う「原爆胎内被爆者全国連絡会」(仮称)が5日、広島市で発足する。奈良や香川、東京など全国から約20人が出席するといい、準備会事務局が参加を呼び掛けている。健康への不安などを抱えながら生きてきた思いを分かち合い、体験を次代へつなぐ。(斉藤正志)

 胎内被爆者は被爆者の高齢化が進む中「最も若い」世代にあたり、兵庫県内にも158人いる。準備会事務局によると、全ての胎内被爆者が対象の全国組織ができるのは初めてという。

 呼び掛け人の一人の三村正弘さん(68)=広島市西区=は、母親が原爆投下翌日の1945年8月7日、自宅がある郊外の村から兄と親戚宅に向かい、爆心地から約2キロまで入った。三村さんが生まれたのは2カ月後だった。

 広島市内から帰宅中に被爆した父は、59歳だった60年6月に胃がんで他界。5カ月後、49歳の母も子宮がんで亡くなった。三村さんは15歳で原爆孤児になり、兄と2人で暮らすほかなかった。

 母は被爆者健康手帳を取っておらず、当時の状況を証言できる人もいない三村さんには手帳の申請すらできなかった。胎内で被爆したが、三村さんには「直接体験していない」との負い目があり、長年、胎内被爆者であることを明かさなかった。

 2005年、勤務先の病院の被爆証言を集めた冊子には、自身を知人の「M君」と装い、境遇を打ち明けることに「勇気がまだわかないようです」とつづった。

 昨年、兄の被爆を証言できる人が偶然見つかり、三村さんも手帳を取得。香川県に住む小学校の同級生から、全国組織の結成を持ち掛けられた。

 発足後は、メンバー同士の交流や各地での証言活動のほか、苦難や葛藤を抱えて暮らした「自分史」をまとめることを考えている。

 三村さんは「69年たっても被爆者だと明かしたくない人もいる。思いを共有し、全国に輪を広げたい」と話す。三村さんTEL090・7375・1211

〈胎内被爆者〉
 厚労省などによると、胎内被爆者は全国で7351人(被爆者全体の4%)いる。うち広島県3522人、長崎県1588人。広島は1946年5月31日まで、長崎は同6月3日までに生まれた人が対象。障害を持つなどして生まれた「原爆小頭症」の患者は全国に20人いる。うち広島県は13人。兵庫県にはいない。

(神戸新聞8月3日朝刊社会面掲載)

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