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広島69回目「原爆の日」 兵庫県遺族代表 伊丹の小泉さん 「原爆なければ」亡き弟思う

 平和記念式典に兵庫県遺族代表として初めて参列した小泉雄次さん(77)=伊丹市。被爆から1年後、弟は「夢見た、怖い」とつぶやき息を引き取った。教員だった父は90歳で亡くなるまで、教え子を助けられなかった無念を忘れなかった。小泉さんは「二度と同じことのない社会にしないといけない」と願う。

 小泉さんは家族5人で広島市郊外の戸坂村(現広島市)に住んでいた。父正雄さんは広島女子高等師範学校に勤務。爆心地から1・5キロの校舎は倒壊、下半身が下敷きになった。父は助けられたが腰の骨が砕けて動けず、「助けて」と叫んでいた多くの生徒が亡くなった。父を捜すため母と兄は8日から、小泉さんは10日ごろから市内に入り被爆した。

 翌年春、弟拡夫(かくお)さんが急に体調を崩し、寝たきりになった。1カ月後、声を出すのも難しくなり、意識がなくなった。当時6歳。髄膜炎と診断された。原爆投下前まで元気だった弟。戦後、広島では髄膜炎で亡くなる子どもが多かったと知り、弟にも影響があったと思うようになった。

 小泉さんは高校教諭になり伊丹市に移り住んだ。40代のころ、口内が腫れて食事が喉を通らなくなるなど、原因不明の体調不良になることがあった。晩年に同居した父は、1995年に亡くなるまで、「教え子を助けたかった」と話していたという。

 約50年ぶりに広島を訪れた小泉さん。慰霊碑に手を合わせ、「原爆がなければ弟は生きていた。そのことを忘れたことはない。69年前と同じ過ちを繰り返してはいけない」と話した。(斉藤正志)

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