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被爆2年後を活写 木村伊兵衛の原画49点現存

■編集委員 西本雅実

 日本を代表する写真家木村伊兵衛氏(1901~74年)が、広島で1947年に撮っていた写真の原画49点とネガフィルムの密着プリント446点の現存が分かった。県立文書館と図書館がそれぞれ所蔵している。木村氏が率いていた文化社メンバー撮影の原画254点も確認された。被爆2年後の復興ぶりや県内全域を鮮明に収めた写真と密着の保存状態はよく、広島の戦後の出発を伝える貴重な記録だ。

 一連の原画は、広島市にあった瀬戸内海文庫が県観光協会と1949年5月に刊行した写真集「LIVING HIROSHIMA」(128ページ)の制作に使われたプリント。文書館の調査に加え、市の原爆資料館などが関係資料にも当たり各撮影者や撮影場所を特定した。

 木村氏は、同文庫からの依頼で1947年9月18日から10月上旬にかけ市内や宮島、三段峡(現安芸太田町)一帯で撮影。ライカ(35ミリフィルム)による96点とローライフレックス(6×6センチ)による350点の密着が、氏が大戦中に部長を務めた東方社写真部の台紙に貼られ、表紙には「木村伊兵衛撮影 文化社」と書かれていた。

 原画との照合から写真集にある、木碑が立つ原爆ドームや紙屋町電停などは木村氏の撮影と判明。厳島神社の舞楽などを含め49点の現存が分かった。

 また、壊滅直後の広島を撮り文化社へ移った菊池俊吉氏による180点(うち35点は1945年10月撮影)、東方社にも所属していた大木実氏の74点の原画も現存している。

 「LIVING HIROSHIMA」は、被爆の実態と復興を伝えた初の写真集だったが、全編が英文で瀬戸内海文庫が刊行間もなく倒産し、広島でも忘れられた存在となった。同文庫を営んだ田中嗣三(つぐぞう)氏(1994年に91歳で死去)が79年に一連の資料を県立図書館に寄せ、密着を除き2006年に同文書館へ移管されている。

生活と地続きで認識

「木村伊兵衛の世界」展を開いた東京都写真美術館の専門調査員、金子隆一さんの話

   広島にあるコンタクト(密着)プリントからは、東京大空襲を体験した木村さんが、原爆の傷痕を市民の生活との地続きでとらえていたのが分かる。木村さんが文化社のころに手掛けた「東京 一九四五年・秋」の密着プリントは残っていない。その意味でも今回の資料は貴重だ。

木村伊兵衛
 東京都出身。庶民の暮らしや作家・俳優らの肖像、時代の光景を自然なスタイルで撮影し、日本の報道写真と芸術写真をなした。国際的にも知られ、日本写真家協会初代会長も務めた。「木村伊兵衛写真全集昭和時代」全4巻などがある。

(2010年12月12日朝刊掲載)

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