×

ニュース

韓国の被爆者 体験を証言 中区

■記者 金崎由美

 韓国で1960年代に被爆者運動を始めた厳粉連(オンブンニョン)さん(82)=陜川市=の証言を聞く会が10日、広島市中区のアステールプラザであった。厳さんは「核兵器が再び使われないため、すべての核兵器被害者に関心を持ってほしい」と訴えた。

 厳さんは安田高等女学校4年のとき、爆心地から約1.7キロ離れた学徒動員先で被爆。背中や足に大やけどを負い1945年12月に韓国・釜山へ帰国した。

 講演では、やけどの治療に苦しみながら、貧困と差別の中で暮らす被爆者を訪ね歩き、1967年の韓国原爆被害者援護協会(現・韓国原爆被害者協会)結成につなげた経緯を振り返った。

 また日本人と同様の援護を求めて68年に在外被爆者として初めて被爆者健康手帳の交付を申請。原爆症認定や渡日治療を求めた経験も語った。

 厳さんは「日本が起こした戦争に巻き込まれた私たちに、日本政府が責任を取るのは当然だ」と訴え。「世界平和のため、体験を伝えるのが私たちの責任」と強調した。

 厳さんは1964年ぶりに一昨年再会した羅戌連(ナムニョン)さん(72)が被爆者健康手帳を取得するための被爆証人として、今月8日に来日した。証言を聞く会は、韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部(豊永恵三郎支部長)が主催し、40人が参加した。

(2011年1月11日朝刊掲載)

年別アーカイブ