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社説・コラム

『言』 秘密保護法施行 戦争の歴史から教訓学べ

◆久保亨・信州大教授

 特定秘密保護法の施行の日を迎えた。国民の知る権利を脅かしかねないこの法律に、歴史家の立場から異を唱えてきたのが信州大人文学部で中国近現代史を研究する久保亨教授(61)だ。新著「国家と秘密―隠される公文書」(集英社新書)では情報公開をないがしろにして戦争への道を突き進んだ日本を振り返り、今につながる問題だと指摘する。歴史からの警鐘とは―。(論説委員・岩崎誠、写真も)

 ―とうとう施行です。
 いま日本が直面している課題は情報公開と公文書管理を確実に進めること。それらが系統的に行われていないのを近現代史の研究者として実感してきました。その基本を発展させるべき時に、秘密にしたいものはとにかく秘密にするゆがんだ法律が拙速にできたことになります。

 ―問題だと考える点は。
 特定秘密の範囲があいまいで広範囲に及ぶ上、指定の判断を専門的な第三者機関でチェックする仕組みもない。行政が国民に重要な情報を知らせず責任も負わず、ひたすら暴走していく可能性は否定できません。

    ◇

 ―その教訓をかつての日本の戦争に学ぶべきだ、と。
 その通りです。1931年の満州事変のきっかけとなった柳条湖事件翌日、奉天(現瀋陽)の日本の総領事が外務省に打った電文があります。完全に軍部の計画的行動だと推測する報告です。関東軍が鉄道を爆破して中国側の仕業と偽り、軍事行動を開始したのは史実として明白ですが、せっかくの情報は政府内で伏せられ、ましてや国民に一切知らされませんでした。仮に情報公開される仕組みがあれば無謀な戦争の道に踏み込まずに済んだかもしれません。

 ―戦争中も、情報隠しはずっと続いたわけですね。
 例えば太平洋戦争では戦闘の激化とともに船舶輸送が大きな打撃を受け、海上輸送力が開戦時の7割を切ってしまいます。こうした統計も機密として全く公表されませんでした。

 ―大戦中なら、どの国も似たり寄ったりだったのでは。
 欧米では18世紀末のフランスを最初に20世紀半ばまでに公文書を保存公開する体制ができていました。中国では「史記」が書かれた漢の時代を源流に、統治システムの中で文書管理を徹底しています。明らかに日本は立ち遅れていました。敗戦直後も戦争責任を問われる可能性が強いとして全国一斉に機密文書の焼却命令を出しています。

 ―後ろ向きな姿勢が、戦後も引き継がれたのですね。
 薬害エイズ問題での文書隠しなどが代表例です。沖縄の返還時の核密約文書の秘匿もそう。もっと早く国民が知っていれば沖縄の基地や日米の軍事協力の問題では別の道ができていたでしょう。まさに平和と民主主義の根幹が情報公開です。しかし戦後の国民も、知る権利が保障されてきたとはいえません。

    ◇

 ―今後、安全保障の分野で情報統制があるかもしれません。集団的自衛権の行使で外国の戦争に関わる場合など…。
 一時的に機密にできたとしても公文書がきちんと保管され、政策判断の誤りが必ず後に検証される仕組みであれば為政者への圧力となり、戦争への歯止めともなるでしょう。しかし、この法律では長期的には何が特定秘密なのかも分からなくなり、意図的に廃棄される余地すらあります。本来なら英国やフランスの公文書館のように国家の暴走をけん制できる独立性の強い組織で扱うべきものです。

 ―歴史研究への影響も心配されているのですね。
 特定秘密を知ろうとした研究者も処罰され得るというのが、危機感を抱いたきっかけです。国民の生活や命に関わる重大な情報があるからこそ研究するんです。史料を探って処罰されるなら危ないことはしないとの空気になりはしないか。日本の近現代史や戦後史の研究はただでさえ遅れています。研究者が育たない恐れもあるでしょう。

 ―この法律をどうすれば。
 無力化し、遠くない将来に廃棄すべきだと思います。法律の仕組みに要求を出すだけではなく、情報公開とトータルで考えたい。研究者や報道人も含めた国民が、今ある情報公開法などを活用しながら問題点を具体的に明らかにする努力で、無力化を進める姿勢が必要です。

くぼ・とおる
 東京都生まれ。東京大文学部卒、一橋大大学院社会学研究科博士課程中退。東京大東洋文化研究所助手などを経て96年信州大教授。専門は20世紀中国の経済政策史や企業史など。日本学術会議会員、歴史学研究会委員長。公文書管理に詳しい瀬畑源・長野県短期大助教と共同執筆した「国家と秘密」が反響を呼ぶ。

(2014年12月10日朝刊掲載)

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