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社説・コラム

『論』 文太さんの日本人論 周縁に希望 見つけたいと

■論説副主幹・佐田尾信作

 俳優菅原文太さん急逝の報に接し、確かあったはずだと書棚の文芸誌を引っ張り出した。東日本大震災の年、「文学界」8月号で芥川賞作家の丸山健二さんと対談している。この記事を読んで、お二人に一度会いたいという思いを強くしたから、よく覚えている。

 対談は「希望は周縁に宿る」と題し、文太さんが丸山さんの長野の自宅の広大な庭に赴いた。丸山さんは芥川賞以降は文学賞をすべて断り、「凄(すご)い小説を創り、凄い庭を造ることに後半生を賭けてみたい」(エッセー集「安曇野の白い庭」)と意を決した人。高倉健さんを主人公に見立てた「鉛のバラ」という10年前の小説も、庭造りと無縁の創作ではあるまい。

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 晩年の文太さんが山梨で有機農業を実践していたからか、対談では木や花を、人や社会に擬しているのが興味深い。たとえば原発事故まで引き起こした戦後日本の転換は容易ではない、人間は始末に負えない、という話になると―。

 文太さん「その花たちは(中略)共存しているでしょう」

 丸山さん「根が重なって喧嘩(けんか)して、共倒れになって死ぬことがあるんです」

 文太さん「そうなのか。(人と)同じなのかな、平和に見えるだけで」

 丸山さん「根が重なり合って共倒れになるという現象は、日本人によく似ています」

 文太さん「一人一人が自立して考えるしかないだろうと思うんだよね」

 丸山さんはユリ科の多年草、ギボウシを引き合いに出す。株が大きくなると真ん中から腐り、周囲に及ぶという。

 文太さん「今の日本はまさにギボウシ状態だね」

 丸山さん「はい、それを防ぐ唯一の手だては、早めに株分けすることです」

 植物は株分けで生き延びる。あるいは、自ら種を飛ばして新天地を求める。人はどうすればいいのか。対談では文太さんは「山に戻る」という選択肢を挙げ、かつて山野を自由に移動した山人の世界をたとえに挙げていた。

 民俗学者柳田国男の名著「遠野物語」を思い起こさせる。「国内の山村にして遠野よりさらに物深き所には、また無数の山神山人の伝説あるべし」(初版序文)。文太さんは東北人でもあった。

 NPO法人ふるさと回帰支援センター代表理事の高橋公(ひろし)さんに、真意を尋ねた。同じ東北人にして古い友人。家族葬にも参列したという。「彼は最期は『東北の党』という地域政党の構想を持っていた。『吉里吉里人』の映画化のことも気にしていたな」。高梁市生まれの植物生態学者、宮脇昭さんらが提唱する「森の防潮堤」の推進者でもあったという。

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 こうして振り返ると、脱原発や反戦という晩年の政治的発言も、思いつきではないようだ。日本人の来し方行く末を、日ごろから思い描いていたのか。東北をはじめ地方の独立自尊の旗が、心の中に翻っていたのかもしれない。ご存じの通り、「吉里吉里人」は東北の一寒村の独立をめぐる寓話(ぐうわ)で、井上ひさしさんの作である。

 対談では文太さんの死生観も伝わってくる。丸山さんに、見事な庭に墓をつくればいい、即身仏になりなよ、と冗談めかしていた。そういえば、大震災の前年に逝った作家立松和平さんには「不意にいなくなった和平さん。托鉢(たくはつ)にでも出かけたのかな」と呼び掛けていた。手元の追想集「流れる水は先を争わず」を読み返してみた。

 亡き人の魂はそう遠くには行っていない―。震災以後、注目されている柳田の他界観にも通じよう。突然いなくなった近しい人が、目には見えなくても傍らにいると思えば生きる力になる。

 当方に日々届く取材先からの便りを読んでいると、ここにも縁が、と驚く。記録映画監督の柴田昌平さんは、宮崎・椎葉で焼き畑農業を続ける「クニ子おばば」を主役にしたテレビ番組に文太さんを起用した。「カタツムリの声」になりきり、千年の森の物語を語ってくれたという。

 反骨の人には、そう遠くには行ってもらいたくない。

(2014年12月11日朝刊掲載)

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