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社説・コラム

『潮流』 100年前のクリスマス

■ヒロシマ平和メディアセンター編集部長・宮崎智三

 街角に流れるジングルベルを耳にすると、つい浮き浮きしてしまう。キリスト教徒ではないのに、そう感じるのだから、信者たちは、どれほど気持ちを高ぶらせることか。近代の戦場でもきっと、特別な思いでクリスマスを迎えたに違いない。

 100年前のクリスマス。その年の夏に欧州で始まった第1次世界大戦のさなか、にわかには信じがたいことが起きた。互いに塹壕(ざんごう)に身を隠して対峙(たいじ)していた兵士たちが、クリスマスの日だけ戦いをやめた―。

 自然発生的に生じた休戦だったせいか、ドイツや英国などの軍の公式記録には残っていないそうだ。もっとも、兵士を駆り立てる軍から見れば、クリスマスだからといって勝手に戦闘を放棄してしまうような行動は許せまい。ましてや敵兵と酒を酌み交わしソーセージを食べながら語り合うなんて、とんでもないことのはずだ。中には、サッカーの試合を楽しんだという話さえある。

 その事実は、隠そうとした軍の対応とは裏腹に、まるで伝説のように語り継がれてきた。休戦をモチーフにした映画「戦場のアリア」が、制作国の一つフランスで観客動員1位(2005年)になるなど人々の共感も集めている。

 奇跡のような出来事を体験した兵士たちが、家族や友人に知らせ、それが広まった。兵士たち一人一人が憎み合っていたわけではなく、ましてや争いを望んでいたわけではない。その確かな証しと言えるではないか。

 しかし、この時の休戦はつかの間で終わった。翌朝、互いに銃を向け、戦場に倒れた者もいただろう。戦火がやんだのは4年後だった。戦争という非人道的な巨大システムがひとたび動き始めれば、生半可な力では止められない。ならば決して始めないこと。「クリスマスの教訓」は1世紀たっても色あせない。

(2014年12月18日朝刊掲載)

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