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「原爆の子」NY上映 新藤兼人監督に聞く

■編集委員 串信孝

なぜ投下 広島人として問う

 「僕は今でも原爆を恨んでいますよ」。映画「原爆の子」が、製作から59年を経て米国で初めて一般上映されるのを前に、新藤兼人監督(98)が東京都内で中国新聞のインタビューに応じた。「なぜ落としたのか、広島人として問いたいと思って作った。上映を機にアメリカで議論が起きてほしい」

 「原爆の子」は、広島市佐伯区出身の新藤監督が1952年、多くの広島市民の協力で製作。1945年8月6日朝、時計の針の刻々とした音の中、畳をはいはいする赤ん坊、職場に急ぐ大人、建物疎開作業で整列した当時の女学生たちを描く。

 「そこへ一発で十数万人が死んでいる、爆弾を超えたような爆弾を落とした。しかも無警告で。戦争を早く終わらせるためとずっと言っているが、どこまで根拠があるのか」

 「原爆の子」上映は、新藤監督の99歳の誕生日に当たる22日からニューヨークのBAMシネマテークで開催される「新藤兼人回顧展」の一環。キューバの革命家ゲバラを熱演し、カンヌ国際映画祭で主演男優賞を受賞したベニチオ・デル・トロ氏が、新藤監督の代表作「裸の島」を見てほれ込み、企画した。「原爆の子」「裸の島」のほか、「鬼婆」「第五福竜丸」などの10本と、最新作「一枚のハガキ」が、5月5日まで上映される。

 新藤監督は、昨年来日したデル・トロ氏と長時間対談。「原爆の子」の製作意図を尋ねられ、「のたうち回って多くの人が死んだ。広島で生まれた人間として許せなかった」と答えたという。

 「原爆について知らないアメリカ人に、広島で何があったか知ってもらうだけでいい。そこからあらためて議論が起きてくれたら」

(2011年4月16日朝刊掲載)

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