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連載・特集

原爆ドーム100年 無言の訴え

 核兵器使用の悲惨さを無言で訴え、人類に警鐘を鳴らし続ける世界遺産、原爆ドーム(広島市中区)。前身の広島県物産陳列館として誕生し、5日で100年を迎える。優美な姿が市民に愛された戦前、原爆投下、存廃論議に揺れた戦後…。1世紀にわたる数奇な歩みを振り返る。(田中美千子)

●戦前 産業振興 薄れゆく

 白亜の高楼―。1915年4月3日、県物産陳列館の完成を伝える中国新聞には、そんな見出しが躍った。れんが造り3階、ドーム状の中央部は5階建て。石材とモルタルで外装が施された。欧州風のデザインは、チェコ人の建築家ヤン・レツル(1880~1925年)が手掛けた。

 県が建設を推し進めた狙いは、県産品の質向上と販路拡大にあった。落成式があった4月5日から40日間、備後表や宮島細工など県内を中心に各地の特産を集めた「物産共進会」を開いている。その後は講演会や美術展も開かれ、文化発信の場としても親しまれた。

 県立商品陳列所、さらに県産業奨励館へと改称。戦時色が強まると、建物の用途も変わっていく。41年ごろから相次ぎ、官公庁や統制組合の事務所が入居。最後の催しとなったのは、43年12月の「聖戦美術傑作展」だった。藤田嗣治、宮本三郎たち、名だたる画家による戦争画が並んだ。

 傑作展開催時の記念絵はがきが原爆資料館(中区)に残る。2005年に寄贈した末友智子(ちえこ)さん(86)=西区=が、観覧時に購入したという。当時、広島女子高等師範学校付属山中高等女学校の3年生。「勉強そっちのけで勤労奉仕の日々。それが当たり前だったし、誰もが『聖戦』だと信じた。悲しい時代です」

 専攻科に進んだ45年の8月6日、動員先の己斐上町(現西区)で被爆した。「あんな時代は二度といけない」。絵はがきに、そんな思いを託している。

●あの日 犠牲者数なお不明

 1945年8月6日午前8時15分、米国が投下した原爆は県産業奨励館の160メートル南東、約600メートル上空でさく裂した。「本来なら私もあそこで死んでいた。亡くなった同僚たちに申し訳ない」。東区に三原君江さん(89)を訪ねると、そう言って目を伏せた。館内の1階にあった内務省中国四国土木出張所の経理課に勤めていた。

 あの日、朝8時の始業に、初めて遅れた。「なぜか行きたくなくて」。前日、職場近くの建物疎開作業に動員され、疲れてもいた。重い腰を上げ、愛宕町(現東区)の自宅から向かった広島駅(現南区)。路面電車を待っていると強烈な光を浴び、体ごと駅構内まで吹き飛ばされた。手足や首に大やけどを負い、3カ月間、寝たきりに。軍属として基町(現中区)の陸軍施設にいた父大賀教一さん=当時(42)=は、遺骨も見つかっていない。

 変わり果てた職場を路面電車の車窓から目にしたのは、その年の暮れ。「涙が止まらなかった。ごめんなさい、と手を合わせずにいられなくて」。原爆ドームとなった今も訪れるたび、内務省職員の名前を刻む碑前で黙とうする。「ドームはお墓と同じ。ずっと大事にしてほしい」

 市が編さんした「広島原爆戦災誌」は県産業奨励館の被害を「館内にいて被爆した者はすべて即死した。その数三〇人ばかり」と伝える。犠牲者の正確な数はいまだ、分かっていない。

●戦後 論議経て永久保存

 爆心直下で倒壊を免れ、焼け野原にかろうじて残った県産業奨励館。永久保存が決まったのは21年後の1966年だ。むきだしのれんがや鉄枠が「惨事を思い出させる」との市民の声も多く、保存か、解体か、市を挙げて揺れ続けた。

 「残ガイの保存を望むか」。1949年10月、市は被爆体験者500人を対象に意識調査をした。翌50年2月11日付の中国新聞が「望む62%、取り払いたい35%」との結果を伝えている。一方、当時の故浜井信三市長は当初、新聞紙上でも解体論を唱えていた。

 保存に傾いたきっかけの一つとされるのが、楮山(かじやま)ヒロ子さんの日記。1歳の時に平塚町(現中区)で被爆した。59年8月6日に「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、恐るべき原爆を世に訴えてくれるだろう」と書き残し、翌60年4月、16歳の若さで、急性白血病で亡くなった。

 その年の8月、日記の存在を知った平和団体「広島折鶴(おりづる)の会」の小中学、高校生が原爆ドームの保存を求める署名と募金活動を開始。訴えは平和団体も巻き込み、広がった。市は65年、ドームの強度を調べ、「保存は可能」と結論づけた。66年7月、市議会は「原爆ドーム保存の要望」を決議した。

 11月、市は工事費を賄うための募金を始め、浜井市長は市内はもちろん、東京の街頭にも立った。各界も共鳴する。ノーベル賞受賞者の湯川秀樹や川端康成、俳優の田村高広、米ジャーナリストのノーマン・カズンズ、インドの法学者パール博士…。67年発行の市の記念誌「ドームは呼びかける」に協力した文化人、芸能人の名前が並ぶ。

 支援の輪は草の根にも広がった。市公文書館(中区)に残る「寄付者名簿」は1万人以上の名を記す。「戦争のおそろしさを伝える原ばくドームをこわしてはならないと考えました」。そんな手紙を添えた小学生もいた。9カ月後、市が取りまとめた募金総額は6619万円。目標の4千万円を大幅に上回った。

●未来へ 核廃絶の願い託す

 1967年4月、市の原爆ドーム保存工事が始まった。「怖かった。保存するはずが壊してしまいそうで」。現場責任者を務めた元清水建設広島支店社員、二口正次郎さん(94)=佐伯区=は当時を振り返る。

 鉄線に囲まれたドームの敷地内は、崩れたれんがが散乱。その壁を押すと「ぐらりと動いた」。亀裂どころか、大きな「割れ目」が点在し、スズメが巣作りしている場所もあったという。壊れた建物を、壊れたまま固める―。前例のない工事だった。

 崩れそうな壁を鋼材で挟んで安定させてから、接着剤となる樹脂を注入した。必要量は19トン。主流だった輸入物は高額で手が出ず、地元メーカーの製品を強度を確かめながら使った。原爆の日に間に合わせるため、工期は実質3カ月。足場にテントをかけ、雨の日も作業した。週末も返上し8月5日に何とか工事を終えたという。

 市の89年の保存工事でも、二口さんは指導に当たった。技術者として「メンテナンス次第で長く残せると思う」と実感を語る。96年、ドームは国内の戦争遺産で初めて、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録された。

 ことし3月末。劣化度を調べるため原則3年おきの「定期検査」を受けているドームの前で、二口さんは牛田中(東区)の「PC放送部」の取材に応じた。被爆70年に合わせてつくる動画の撮影カメラを前に「みなさんの言葉でドームの意味をいろんな人に伝えてほしい。ずっと残せるように」と語り掛けた。

 「あるのが当たり前だと思っていたドームにいろいろな人の思いが詰まっていた」。インタビューを終えた3年山本悠有希さん(14)は驚きを口にした。「どう受け止め、伝えていくか、考えてもらえるような作品にしたい」。100年後、世界平和と核兵器廃絶を果たした人類のシンボルになっているように。そう願って。

原爆ドームの歩み

1910年12月 広島県が県物産陳列館の建築を決定
1915年4月5日 県物産陳列館が完成
  21年1月 県立商品陳列所と改称
  33年11月 県産業奨励館と改称
  41年12月8日 日米開戦
1945年8月6日 原爆投下。ほぼ真下で、被爆し大破、全焼
     8月15日 終戦
  49年10月 広島市が元産業奨励館保存の是非を被爆体験者500人にア
         ンケート。
         428人のうち保存派62%、撤去派35%
  53年11月 県が市に原爆ドームを譲与
  60年8月 広島折鶴の会が原爆ドーム保存のための署名と募金活動開始
  64年12月 二つの原水禁広島県協議会、核禁広島県民会議など11平和
         団体が永久保存を浜井信三市長に要請
  65年7月 市が100万円を投じて強度調査。委託を受けた広島大工学部
         の佐藤重 夫教授は「補強すれば保存できる」と報告
1966年7月 市議会が「原爆ドーム保存要望」を全会一致で決議
     11月 市が保存募金活動を開始。67年3月に目標の4千万円を
         超え、浜井市長が終了を発表。同年7月末までに約6619
         万円が集まる
1967年4月 市が第1回保存工事。8月に完工
  87年7月 市が保存調査技術検討委員会を設置
  88年3月 外務省が「世界の文化遺産・自然遺産保護条約」の指定遺産と
        して原爆ドームを検討。衆院予算委員会分科会で明かす
  89年3月 市が2回目の工事へ、原爆ドーム保存募金開始。同年12月の
        締め切りまでに約3億7千万円が集まる
     10月 市が第2回保存工事。翌90年3月に完工
  92年9月 市議会が原爆ドームを世界遺産条約に基づく「文化遺産」に追
        加推薦するよう国に求める意見書を全会一致で採択
  93年6月 連合広島の呼び掛けで県内13団体が「原爆ドームの世界遺産
        化をすすめる会」結成
  95年6月 国史跡に指定
1996年12月 「広島平和記念碑(原爆ドーム)」の世界遺産登録が決定
2001年3月 芸予地震
  02年10月 市が第3回保存工事。翌03年3月に完工
  07年8月 市の保存技術指導委が「耐震部会」の初会合
  13年6月 市が耐震性の詳細調査のため壁の資料抜き取り作業を公開
  14年1月 市が初の耐震工事実施を発表。15年8月6日以降に着工予定

(2015年4月4日朝刊掲載)

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