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「脱原発」なぜ必要 広島で集会 発言者に聞く

■記者 森田裕美

 東日本大震災発生から3カ月を迎えた今月11日、広島市中区の原爆ドーム前で、原発のない生活を望む市民約300人が「脱原発100万人アクションinヒロシマ」に集った。福島県から中国地方や近隣に避難している家族や、長年原発問題に取り組む研究者たちが発言した。集会終了後、そのうちの2人にあらためて聞いた。なぜ脱原発か、そのために私たちは暮らしの中で何ができるのか―。

ハイロアクション福島原発40年実行委員会委員長 宇野朗子さん(39)=避難先・福岡市=

命の問題 行動の主体に

 市民団体「ハイロアクション」は老朽化した原発がいつかは迎える廃炉と、廃炉後の持続可能な地域社会を考えようと福島県内を中心に有志約30人で昨年11月に結成した。反対か推進かという対立的議論ではなく、私たちの未来を考えようと呼び掛け、結成記念行事を準備していた時に震災が起きた。

 私は原発に関する知識が多少あったため、翌日の避難では遅いと感じ、その日のうちに4歳の長女と福島市を脱出した。今は県内に残る仲間と救援活動や放射線測定などを続けている。

 福島では、パニックを恐れたり、風評被害への抗議もあって危険性を訴える情報が伝わりにくい状況にある。内部被曝(ひばく)を恐れ、マスクをしたり危機感を訴えたりする人を「不安をあおる」と非難する風潮もある。原発に依存してきた立地県だからこそ、逆に自由にものを言えない雰囲気を感じる。

 脱原発を訴えると、「じゃあエネルギーや経済はどうするのか」とよく問題をすり替えられる。もちろんそれもきちんと考える必要がある。でも私たちを見てください。故郷を失って人もばらばら。

 福島の女子高生からは「被曝のせいで子どもが産めなくなったら補償してもらえる?」との切実な言葉も聞く。原発の問題は命の問題。命がなければ考えることもできない。

 私自身、昨年まで知識もなく運動とも無縁だったが、福島県知事のプルサーマル受け入れ表明を機に、今はできることを探しながら動いている。まずは生活者として問題に向き合い、純粋に人間が命を守り、豊かに生きるためにどうすべきか一緒に考えてほしい。

 一方的な情報に流されず多角的に情報にアクセスしたり、自らの手で放射線量の調査をしたり、行動の主体になる努力をしよう。(談)


核関連情報シンクタンク「ピースデポ」代表 湯浅一郎さん(61)=東京都小金井市=

瀬戸内なら漁業の危機

 私たちが今、問われているのは、これからも人類は「死の灰」やプルトニウムを作り続けるのか、ということだ。

 ウランの核分裂反応を利用する原発を運転し続けるということは、原子炉の中で、原子核が二つ以上に割れた元素(死の灰)とプルトニウムがたまり続けるということ。

 電気出力100万キロワットの原発が稼働率80%で1年稼働すると、約1トンの死の灰ができる。広島原爆が放出した死の灰は1キロなので、千倍だ。福島第1原発1~4号機は282万キロワットで2.8トン。つまり毎年広島原爆の2800個分を作り出している。

 海洋物理が専門の私は1969年から6年間、仙台にいて女川原発反対運動にも関わった。仙台で使う電気を作るのになぜ遠く離れ、世界三大漁場の一つである三陸沖の女川に原発が立つのか、という素朴な疑問から。1975~2009年は呉にいて、近隣の原発問題に向き合ってきた。

 広島市と上関原発予定地(山口県上関町)や伊方原発(愛媛県伊方町)、島根原発(松江市)との距離は、首都圏と浜岡原発とほぼ同じ。福島と同じような事態になれば周防灘、広島湾、安芸灘、さらには瀬戸内海一帯で海洋生物が生物濃縮を経て汚染され沿岸漁業は壊滅する。広島のカキ養殖も影響を受ける。

 セシウムの半減期(約30年)などを考えると長期にわたり漁業は不可能に。瀬戸内海の漁業技術も人材も断絶し、「瀬戸内海文化」が消えてしまう。

 福島の事態を自分の問題として考え、小さな学習会をできるだけ積み上げてほしい。みなさんがチューターになり、原子力開発や核燃料サイクルの矛盾を理解し、原発に頼ってきた社会構造が正しかったのか、考え抜くことができる市民を増やしていくことが大切だ。(談)

(2011年6月20日朝刊掲載)

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