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呉海軍工廠空襲 語り継ぎ15年 元挺身隊員高橋さん

■記者 小林可奈

 1945年6月22日の呉海軍工廠(こうしょう)の空襲に遭った呉市宮原の高橋節子さん(84)が、体験を語り継ぐ活動を15年間続けている。「若い世代に戦争の悲惨さを伝えたい」との思いから、今年も市内の小学校などで講演を重ねている。

 「シューッという音が頭上に迫り、次の瞬間、ズズズズ、ドッカンというさく裂音がした。防空壕(ごう)に逃れようと泣きながら走った」

 呉市宮原の坪内小の体育館。高橋さんは、集まった児童たちに話し掛けた。「空襲が終わって工場に戻ると、一緒に働いていた2人の工員が黒焦げになり亡くなっていた」

 空襲体験を初めて聞いた6年坂口明里さん(11)は「爆弾が落ちたことを想像したら怖かった。戦争は絶対にしたくない」と受け止めた。

 高橋さんは呉市立高等女学校を卒業した44年、女子挺身(ていしん)隊員として呉海軍工廠に配属され、45年6月の空襲を体験した。

 体験を地域で語り始めたのは96年。小学校などから「体験を話してほしい」と依頼があったのがきっかけだった。以来、市内の小学校や保育所などでボランティアの講演活動を続けている。

 高橋さんは「爆弾の話をすると目に涙を浮かべる子どももいて、できることなら怖い話はしたくはない。ただ戦争は繰り返してほしくない。私は命ある限り語り続けたい」と力を込める。

呉空襲
 呉市への空襲は1945年の3月から7月にかけて計14回あった。6月22日に呉海軍工廠、7月1日から翌日未明に市街地がそれぞれ大規模な空襲を受けた。

(2011年6月21日朝刊掲載)

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