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慰霊の碑 「本来の所に」 福山の陸軍歩兵第41連隊 市遺族会 兵営跡へ移設目指す

 福山市遺族会が、同市花園町に37年前に建立された、陸軍歩兵第41連隊の記念碑の移設を目指している。かつて連隊の兵営があった緑町公園(同市緑町)に移す計画だ。兵営跡地は同公園になる前、広島大福山分校のキャンパスとして活用されていたため、現地での建立が断念された経緯がある。遺族会は27日、公園への移設許可を市に要望した。移設に向け寄付も募っている。(加納亜弥)

 記念碑は緑町公園から約150メートル北西のJA福山市の敷地にある。高さ約6・5メートル。「歩兵第四十一聯隊跡」と刻まれている。

 連隊関係者たちでつくる「建設世話人会」が寄付を集め、1978年に建てた。広島大福山分校の敷地への建立を希望したが実現せず、市農協の協力で、陸軍病院跡地でもある農協の敷地に決まったという。

 建立から11年後の89年、同分校は東広島市に移転。跡地は現在、緑町公園と商業施設などになっている。市遺族会は「ゆかりの地で慰霊したい」との声が関係者に根強いことも踏まえ、昨年秋、移設に賛同する会員の署名集めを始めた。

 27日は市遺族会の篠原彌之(ひろゆき)会長(77)たち4人が市役所に広田要副市長を訪ね、1025人分の署名を提出した。篠原会長は「戦後70年の節目に本来の場所に戻したい」と力を込める。

 日露戦争後の1908年から福山市に拠点を置いた41連隊は、主に備後地域の出身者で編成された。アジア各地の激戦地に赴き、第2次世界大戦が終わるまでに約7千人が犠牲になったとされる。41連隊に所属していた平吉一則さん(96)=竹原市=は「41連隊を忘れてほしくない。命を落とした仲間への慰霊の思いは絶えない」と話す。

(2015年5月28日朝刊掲載)

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