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社説・コラム

『記者縦横』 写真に託す遺族の思い

■呉支社・小島正和

 噴き上がる巨大な爆煙に息をのんだ。モノクロで色あせてはいるが、当時の最新技術を集めた兵器のすさまじさが伝わってくる。

 旧海軍の戦艦武蔵とみられる艦が46センチの主砲を発射する瞬間を捉えた写真。武蔵の初代砲術長だった故永橋爲茂(ためしげ)氏の次男永橋爲親さん(85)=神奈川県逗子市=が保管していることが分かり先日紙面で報じた。7月1日に始まる大和ミュージアム(呉市)の特別企画展でパネルが展示される。

 「興味本位で見られるのは仕方ない。今の人たちは当時を生きていないのだから」。受話器の向こうで爲親さんは淡々と、やや諦めたような口調で語った。ただこう付け加えるのも忘れなかった。「あの悲惨を少しでも想像してほしい」

 爲親さんは少年時代を江田島で過ごした。1945年、軍港都市を破壊した呉空襲で人が焼かれ、ばらばらになるのを見たという。「人間の命が粗末にされるあんな戦争は絶対によくない」。遺族であり、惨状を目の当たりにした人の言葉には説得力がある。

 武蔵は呉市で建造された戦艦大和の姉妹艦。戦後70年のことし、呉でも大和乗員や戦争犠牲者に思いをはせ、平和を誓おうという機運は高まる。4月7日には遺族や有志たちが10年ぶりに追悼式を執り行った。

 戦争は人間に何を強いたのか、そして何を奪ったのか。セピア色の写真と当時の記憶を語る言葉、そして遺族たちの祈り。あらためて命の重さをかみしめている。

(2015年6月19日朝刊掲載)

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