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父の被爆 歌に乗せ 作詞家 もずさん 体験「継ぐ」CD

 「花街の母」「釜ヶ崎人情」などの演歌で知られる作詞家もず唱平(本名西垣正樹)さん(76)が、父親の広島での被爆体験を基に作詞した「母さん生きて」をCD化した。父親が被爆した旧広島陸軍被服支廠(ししょう)(広島市南区)を訪ね、「歌を通じて父の記憶を伝えたい。われわれには、被爆の記憶が消えないよう次世代に申し送る責任がある」と力を込めた。(石川昌義)

 父、西垣清さん(1978年に64歳で死去)は被爆当時、被服支廠で現場監督をしていた。建物内にいてけがはなかったが、戦後は体調不良に悩まされた。大阪で暮らし、職を転々とした。もずさんは「惨めな暮らしを強いられ、誇れる父ではなかったが、戦争の時代に翻弄(ほんろう)された日本人の一人ではないだろうか」と振り返る。

 「母さん生きて 命のあるかぎり」というリフレインが印象的な歌は、被爆後の広島で父が見掛けた、ある母と娘がモデル。余命いくばくもない娘が母を励ます姿を歌詞にした。もずさんの弟子の歌手高橋樺子(はなこ)さんが「苦しみを一人で耐えて あなたを残して旅立つ私 いけないことです 親不孝」と歌い上げる。

 もずさんが10年ほど前に作詞し、2007年から高橋さんが歌っている。もずさんが特別顧問を務める大阪市の戦争博物館「大阪国際平和センター(ピースおおさか)」でのイベントなどで披露、被爆70年を機にCD化が決まった。「私がメッセージを発信できる時間は短い。70年が最後のチャンスかも」と声を絞る。

 高橋さんも、広島に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイ号の出撃地、太平洋北マリアナ諸島(米自治領)テニアン島を11年に訪ねるなど歴史を胸に刻む。「切なさや優しさ。広島の人には、歌に込めた気持ちを受け止めながら聞いてもらえる」。もずさんも「今なお残る被服支廠の建物のように、父の記憶を歌い継いでほしい」と期待する。

(2015年6月28日朝刊掲載)

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