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降り注ぐ焼夷弾 恐怖のどん底に 高畑監督、岡山空襲を証言

 岡山市で少年時代を過ごし、アニメ映画「火垂るの墓」の監督をした高畑勲さん(79)が6月29日、同市北区の市民会館で講演し、岡山空襲の体験を初めて地元で証言した。焼夷(しょうい)弾が降り注ぐ中、逃げた様子を生々しく語り、平和を守るため「憲法9条は絶対に変えてはならない」と訴えた。

 高畑さんは空襲のあった1945年、当時9歳だった。自宅2階で就寝中、騒がしい音に気づき目を覚ますと、既に外が真っ赤になっていた。「空襲だ」と寝間着姿で家を飛び出し、はだしで1歳上の姉と市街地中心部へと逃げ出した。

 「トタンを引きずったようなシャーというすごい音だった」。空を見上げると無数の焼夷弾が落ちてきた。軒下で直撃を避けると防火用水の水をかぶり、炎の中を走った。途中、姉が爆弾の破片で負傷し失神。「恐怖のどん底だった」。必死で名前を叫び揺り起こすと、再び逃げ回った。

 明るくなった後、焼失した自宅を見に戻った。近くの水路には多くの人が飛び込み、息絶えていた。防空壕(ごう)で蒸し焼きになった人もいた。「本当にたくさんの死体を見た。歯がかみ合わないぐらい震えた」と、悲惨な光景を思い起こした。

 講演では、安倍政権が安全保障関連法制の整備を進め、反対派の声を封じる動きがあることへの危機感も強調。「戦後70年目にして日本が大きな転換期を迎えている。いったん戦争できる国になればどういう運命をたどるか歴史に学ぶべきだ」と訴えた。 (永山啓一)

岡山空襲
 1945年6月29日午前2時43分から1時間24分間にわたり、138機の米軍爆撃機B29が焼夷弾約883㌧を岡山市街地に投下した。空襲警報はなく、当時の市街地の63%が被害を受け、少なくとも1737人が犠牲になった。

(2015年6月30日朝刊掲載)

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