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社説・コラム

社説 安保法案の強行可決 国民の声 無視した暴挙

 理屈ではなく力ずくで、国を大きく変えるつもりのようだ。きのう安全保障関連法案は衆院特別委で怒号が飛び交う中、与党が強行可決した。

 法案自体を「違憲」とする指摘が憲法学者などから相次ぎ、国民の間にも反対の声や疑問視する見方が強い。それでも日程ありきなのだろう。今国会での成立へ与党はなりふり構わず突き進む。果たしてこれで民主主義国家といえるだろうか。

 さらに看過できないのは、安倍晋三首相の姿勢である。安保法案について「まだ国民の理解は進んでいない」ときのうの採決前に自ら認めた。前日には、石破茂地方創生担当相も同様の見解を示していた。首相は「国民に丁寧に説明していく」とも述べたが、数の力で可決した今となっては説得力を欠く。

「合憲」一点張り

 安倍政権は国民に理解されていないことを承知で、安全保障政策を大きく転換する重要法案を押し通した。つまり首相自ら民主主義を否定したに等しく、暴挙としか言いようがない。

 可決されたのは改正10法案を一括した法案と国際平和支援法案である。与党は審議が110時間を超え、想定した時間を大きく上回ったとして採決に踏み切った。だが多岐にわたる法案の軸は、歴代政権が憲法9条に基づき認められないとしてきた集団的自衛権の行使を解禁することだ。「平和国家」の姿が変えられようとしているのに、とても議論を尽くしたとはいえまい。一方的に審議を打ち切ったのは理不尽である。

 そもそも集団的自衛権の行使を「違憲」とする声を完全に無視する姿勢でいいのか。政府が昨夏、行使容認を閣議決定した際にも合憲性が問われたが、5月の法案の提出後に、いよいよ疑問の声が強くなった。

 政権の立場からは誤算だったろう。衆院憲法審査会において自民党推薦を含め参考人の憲法学者全員が「違憲」と明言したのに加え、内閣法制局長官を務めた元官僚らからも同じ見解を突きつけられた。なのに開き直って政府・与党が「合憲」の一点張りを崩さないことが国民の不信感に輪をかけている。

 衆院で議論を尽くしたと言い張る法案の中身を見ても、分かりにくいこと極まりない。

平和国家どこへ

 例えば集団的自衛権行使に関わる「存立危機事態」などの概念は曖昧な答弁を繰り返し、最後は「政府が総合的に判断する」と逃げる。海外任務の拡大で自衛隊のリスクは常識的に考えれば高まるはずが、ここに至っても認めようとしない。

 こうした説明なら、理解したくても無理だ。報道各社の世論調査を見ても「審議が不十分」が多数を占めることに、率直な受け止めは表れていよう。それを知りながらの採決強行は、国民をばかにしていると言われても仕方あるまい。

 戦後日本は平和憲法の下で不戦を誓ってきた。この法案は、その歩みを覆しかねない。60年安保や1990年代の国連平和維持活動(PKO)協力法の審議と同様、再び国民の不安に背を向けた国会運営がなされた。

 法律を作ってしまえばやがて時がたち、反対の声も薄れるとの目算らしい。自衛隊も日米安保条約も当初は違憲とされたはずだと自民党の幹部は発言している。しかし、それが正しい道だったかどうかは別の問題だ。米国に従属して憲法9条を形骸化させてきた流れを、なし崩し的に強めていいはずはない。

政権のおごりか

 安倍政権の振る舞いに対する異論を封じるかのような動きがこのところ目立つ。おごりからだろう。自民党の若手議員の勉強会では「マスコミを懲らしめる」などの暴言も飛び出した。

 物言えぬ空気からか、法案審議へ違和感を持つ議員もいるはずだが声が聞こえてこない。特に平和の党としてブレーキ役を自任していた公明党は、いまの事態をどう説明するのだろう。

 政府・与党はきょうの衆院本会議で法案を通過させ、参院に送る構えだ。だが国民をないがしろにしたまま、成立させることは決して許されない。

(2015年7月16日朝刊掲載)

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