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福山空襲予告ビラが現存 数日の内に裏面の都市の…軍事施設を爆撃 市民が保管、A5判

 福山市の市街地が焦土と化した1945年8月8日の福山空襲。その8日前に米軍が上空からまいた空襲予告のビラを同市北本庄の世良チトセさん(80)が保管している。ビラは憲兵がすぐに回収するなどし、ほとんど現存していないとみられていた。同市丸之内の市人権平和資料館は「館内にもコピーしかない。貴重な資料だ」としている。(小林可奈)

 ビラはA5判。「数日の内に裏面の都市の内全部若(もし)くは若干の都市にある軍事施設を爆撃します」などと記し、市民に避難を促している。裏面に、米軍の爆撃機B29の写真を載せ、福山、水戸、八王子(東京)、大津など12の都市名を記載している。

 同館によると、米軍は45年7月31日夜、当時の福山市の人口とほぼ同じ約6万枚のビラをまいた。世良さんのビラはその1枚で、夫和之さんが99年に69歳で亡くなるまで保管していた。

 和之さんは高校の社会科教諭だった。和之さんが書いたとみられる体験記や、ビラと一緒にあった説明文によると、当時15歳だった和之さんは同級生からビラをもらい、自宅があった同市寺町で空襲に遭った際も服のポケットに入れていた。

 ビラに記されていた八王子市は、福山へのビラ投下の2日後に空襲を受けた。和之さんは、米軍は予告通り攻撃するのだろうかとの思いから、ビラを持っていたという。世良さんは「戦後も捨て難かったのでしょう。後世に資料を残す必要性も感じていたのでは」と推察する。

 世良さんも空襲の日、現在の福山市赤坂町から市街地が焼ける様子を見た。「当時はお上の言うことは絶対でビラは生かされなかった。今は情報はあふれている。正しく受け入れ、判断してほしい」

福山空襲
 1945年8月8日午後10時25分ごろ、91機の米軍B29爆撃機が福山市の上空に飛来。約1時間にわたって焼夷(しょうい)弾を投下した。市街地の約8割に当たる314ヘクタールが焼失。354人が犠牲になり、1万179戸が焼失した。

(2015年7月17日朝刊掲載)

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