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米、GHQに報告指示 広島復興伝える「幻の記録映画」 文書を確認 製作の監視裏付け

 被爆からの復興の実情を伝えようと、広島県、広島市などが1948年から49年にかけて記録映画「平和記念都市ひろしま」を製作していた際に、米政府が連合国軍総司令部(GHQ)に対し、その内容を報告するよう指示したことを示す文書が、米国立公文書館に保管されていた。米国が映画製作を監視していたことを裏付ける資料だ。(田中美千子)

 「ひろしま」は復興資金を海外から募る狙いで製作。当初は「ノー・モア・ヒロシマズ」と題し、記録映画の監督だった秋元憲氏(1906~99年)が脚本・演出を手掛けた。モノクロで20分。広島駅前の光景や原爆孤児の生活風景などを収める。

 文書は民事局再教育課がGHQ民間情報教育局(CIE)に宛てた49年5月23日付。「国務省は映画の共同製作を進めているとのうわさについて情報を得るよう求められた」「いかなる事実も報告を」と求めている。6月11日付のCIEからの返書は「当初の脚本は原爆による破壊の光景と人々の悲惨な暮らしを描こうとしていたが、改訂中」とし、入手したとみられる台本の一部を伝えている。

 国立国会図書館(東京)が収集した占領期の資料の中に一連の文書があり、広島市公文書館の中川利国館長がマイクロフィルムで確認した。「米国は映画に重大な関心を寄せ、神経をとがらせていた」と分析する。

 映画は、50年8月に米国内で上映されたと現地の邦字新聞が報じているが、広島では記録がなく、専門家の間に「検閲が厳しく製作は実現しなかった」との見方もあった。秋元氏の遺族から寄贈を受け、川崎市市民ミュージアムが所蔵していることが一昨年に判明。広島市は同ミュージアムと遺族の許可を得て「ひろしま」を複製した。

 並行して撮影された「産業の再建」(10分)とともに、市は8月1日午後2時から中区基町の市映像文化ライブラリーで「幻の映画」の上映会を初めて開く。被爆70年事業の一環。中川館長は「復興途上の広島をどう伝えるか、製作陣が苦心した背景も知ってほしい」と話している。

 同ミュージアムの元学芸員らによるトークショーもある。無料。市公文書館は紀要第28号でも映画について解説しており、同館ホームページで閲覧できる。同館Tel082(243)2583。

(2015年7月29日朝刊掲載)

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