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連載・特集

戦後70年 志の軌跡 対談 <上> 「この世界の片隅に」 

原作者×映画監督 こうの史代さん 体験者の意見聞けるのは今/片渕須直監督 節目の夏で終わりじゃない

 広島、長崎への原爆投下から70年。記憶の風化にあらがうように、戦後世代の表現者たちが、ヒロシマや戦争を題材にした創作に挑んでいる。先人から何を受け継ぎ、次世代にどう伝えようとしているのか。節目を迎えた夏、2組の表現者に語り合ってもらった。

 初回は、第2次世界大戦末期の広島、呉を舞台にしたアニメ映画「この世界の片隅に」(2016年秋公開予定)の原作者で、広島市西区出身の漫画家こうの史代さん(46)と、映画を手掛ける片渕須直監督(54)。(文・石井雄一、写真・高橋洋史)

●表現活動に当たって、影響を受けた人。原爆や戦争を題材にするきっかけ

 こうの 描き始めた中学生の頃は、手塚治虫さんですね。せりふがすごく洗練されていて、文学的。キャラクターの表情も、生きた人間と接しているような感動があった。漫画っていろいろできるんだなって思いましたね。

 片渕 祖父が映画館を経営していて、幼い頃に見たのが「わんぱく王子の大蛇退治」。そのクライマックスの作画をしたのが、大塚康生さんと月岡貞夫さんだった。その後、進んだ大学には月岡さんが講師で来られていて、最初の就職先には大塚さんがおられた。大塚さんのアニメーションの、動きのダイナミックさに憧れていたんです。

 こうの 高校生の時、(米国から記録フィルムを買い、原爆映画を作る)「10フィート映画運動」の映像を学校で見て、気分が悪くなった。それからは、テレビでもチャンネルを変えたり、なるべく避けたりするようになった。

 1995年に漫画家としてデビュー後も、原爆を描こうとはまったく思っていなかった。知らない者が軽々しく踏み入れる領域じゃない気がして。そんな時に編集者から「ヒロシマを描いてみたら」と提案されて。それで作ったのが「夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の国」(2004年)です。

 手塚治虫さんたち戦争を経験した方が、新しい戦後漫画の時代を築いた。戦争を描くのは、戦後漫画の伝統だと思うんです。だから、みんながちょっとずつ描けばいい。たまたま、私にその番が回ってきたと、その時は思いましたね。

 片渕 父親が昭和一桁生まれで、ほんと零戦が好きなんですよ。子どもの頃、僕も父が持っていた本を眺めているうちに飛行機が好きになった。調べていくと、パイロットが理不尽に死ぬ場面ばかりになって。今度は、製造工程を調べた。でも、戦時中は学徒動員された女学生たちが働いていて、その工場が集中的に空襲を受けた。結局、大変なところに行き当たる。だから、それを自分の作品で描きたいとは思っていなかったんです。

 以前、東京大空襲のアニメ映画(91年公開の「うしろの正面だあれ」)の製作を少し手伝ったことがあった。その時に、調べきれていない部分があって。それは、爆弾が何個落ちたとか何人死んだかじゃなくて、その日は暖かかったのか寒かったのか、ちょっと前に降った雪は残っていたのかとか。そういうことを分からないままやっているのが、心の中で澱(おり)になっていたんですよ。

 その後、昭和30(1955)年の防府を舞台にしたアニメ映画「マイマイ新子と千年の魔法」を09年に作った。主人公の女の子のお母さんは、昭和30年時点で29歳。そのお母さんは、すごくぽわーんとした、のどかな人物として造形した。そういう人もいるだろうと。その人が、たった10年前には戦時中の世界にいたわけなんだと気付いた。

 その人をてこに、戦時中までさかのぼれないかなと思っていたんです。そんな時に、漫画「この世界の片隅に」に出合って。主人公も似たタイプ。自分たちが、戦時中の世界に入り込んでいくためのアバター(分身)みたいな感じがしたんです。

●戦争を描く意味

 片渕 戦争中を生きていた両親やその世代の人たちから、多くの証言に触れてきた。聞くと、米軍機からの機銃掃射って、間近で体験した人は、だいたいパイロットが見えたと言うんです。で、見えるのかなっていうのが、まず疑問なんですよ。空港や自衛隊の飛行場のそばに行ってみてもだいたいは見えない。

 じゃあ、あの人たちはなぜ見えたのか。きっと別の心理が働いて、見えた記憶が心の中に焼き付いていると思った方がよいのではないか。それぐらい怖かったんだ、と。そこまで理解して語らないと、僕らは、永遠に戦時中の人たちの子どものままだと思った。「この世界の片隅に」で、こうのさんは、戦時中に生きていた人を自分と対等に描こうとされているんです。

 こうの 戦時中を描いた作品って、みんなもんぺ姿で、三つ編みの女学生が逃げ回ったり、大好きな人が特攻隊に行ってしまったり。戦前、戦後とは、まったく違って見える。いつ、そんなふうに変わるのか。戦前の生活から、もんぺをはく生活に。私にとっては、それが戦争を描くことだと思ったんです。

 片渕 いろいろ調べていくと例えば、戦時中に戦費調達の国債の売り出しポスターがいっぱいある。

 こうの 貯金とかもすごい推奨していた。

 片渕 あんなに推奨するってことは、みんなそれほどやらなかったんですよ。なので、防空演習やって、演習の間ももんぺはけとか一生懸命やった。国民の大半は、危機感を盛り上げなければいけないぐらい、実は動いてなかったんじゃないかなという気がするんですよ。

 こうの 戦時中でも、自分たちはあまり関係ないと思っているかのような印象も受けます。

 片渕 それって、今のわれわれと実は近いなって思うんです。

 僕は、広島でいろいろな話をうかがってます。6月に、爆心地近くの中島本町(現広島市中区)で、お父さんが理髪店をやっていた方から、とうとう両親と兄弟の墓をつくったと聞きました。帰ってこない、と諦めたって。

 ひょうひょうと語っていたけど、心の奥底はどうなんだろう。それは、想像するしかないんです。でも、想像できるだけの根拠を持たないといけない。持った上で、体験者が語ってくれたこと、語り残したことに対して、意味を見つけていかないといけない。

 こうの 漫画だからこそ、その人が言いたかったことを想像して、補うこともできる。今なら、体験された方々から、こういうことが言いたかったんだよって、自分たちが表現したことに対して意見や反響をもらうことができる。これからずっと戦争を起こさない国でいるためには、体験していない私たちが、証言をうまく伝えられるかは、すごく重要だと思いますね。

 片渕 こうのさんの漫画は、昭和20年ではなく翌21年で終わっている。今年はたまたま被爆70年の節目だけど、来年も語られなければならない。僕は、この映画の公開がこの夏ではなくて、被爆71年の秋になるのはいいことだと思っています。被爆70年で終わりじゃないんだと、来年思ってもらえるといいですね。

あらすじ

 広島市江波で生まれ、軍港都市・呉に嫁いだ女性「すず」が主人公。時は、第2次世界大戦末期の1944年。18歳で一家の主婦になったすず。あらゆる物資が欠乏していく中で、毎日の食卓をやりくりする。戦況は悪化し、呉の街も戦禍に見舞われる。それでも日々の営みは続いていく。

こうの・ふみよ
 1968年広島市西区生まれ。95年、「街角花だより」でデビュー。2004年、「夕凪の街 桜の国」で文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞。映画化される「この世界の片隅に」は、09年に同部門の優秀賞を受賞した。東京都在住。

かたぶち・すなお
 1960年大阪府枚方市生まれ。日本大芸術学部卒。在学中から、宮崎駿監督の作品に脚本家として参加。アニメ映画「魔女の宅急便」の演出補などを務める。テレビアニメ「名犬ラッシー」で監督デビュー。代表作に「マイマイ新子と千年の魔法」(2009年)がある。東京都在住。

(2015年8月5日朝刊掲載)

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