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命つないだ猿猴橋に感謝 復元へ最後の8・6 住民ら「ご苦労さま」 広島原爆の日

家族を失った悲しみ 70年たっても変わらない

 被爆70年となる原爆の日を迎えた6日、広島市中区の平和記念公園で平和記念式典が開かれたほか、各地で犠牲者を悼む祈りが広がった。平均年齢が80歳を超えた被爆者たちは子や孫、後輩たちに「あの日」を伝え、平和を願う心が語り継がれた。

 傷ついた被爆者の命をつなぐ道となった。焦土からの復興を見守った。広島市南区の猿猴橋。被爆に耐えたデルタ最古の橋は来年3月末、戦前の華麗な姿に復元される。最後の8月6日を迎え、近隣住民や工事関係者が橋のたもとで黙とうをささげた。

 爆心地から約1・8キロ。平和記念式典のラジオ中継を聞きながら鐘の合図でこうべを垂れ、手を合わせた。地元の「猿猴橋復元の会」の大橋啓一会長(68)は「被爆者がどんな思いで橋の上を逃げたかと想像した。橋には、ご苦労さまと言いたい」とねぎらった。

 猿猴橋は1926年に建造。ブロンズ製の照明灯や欄干の透かし彫りの意匠が凝らされていたが、戦時中の金属供出で現在の姿になった。復元の会は2008年から資料収集や募金活動を続けてきた。市が被爆70年の記念事業で復元を決め、悲願がかなった。

 黙とうは工事を請け負う宮川興業(安佐南区)が呼び掛けた。小谷彰伸建設・交通事業部長(61)は「歴史ある橋。大切に扱わなければと思った」。同社は原爆ドームそばの元安橋の架け替えも担当。「地元企業として光栄」と今回の復元にも取り組む。

 工事は17日、欄干の解体撤去で始まる。完成すれば、親柱の頂上にワシが羽ばたき、高さは現在の約2倍の約5・3メートルになる。被爆地広島に新たな歴史を刻む。(藤村潤平)

(2015年8月7日朝刊掲載)

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