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上関町長選 柏原さん3選 原発推進 結束貫く

落選の山戸さん「反対示せた」

 福島第1原発の事故から半年余り。瀬戸内の小さな町の住民は、原発推進の立場を維持するリーダーを選んだ。25日投開票された山口県上関町長選。3選を果たした無所属現職の柏原重海さん(62)は先行きの不透明さを意識し、勝利の喜びに沸く支持者に団結を訴えた。一方、敗れた無所属新人の山戸貞夫さん(61)は、原発反対の運動を今後も続けると強調した。

 「町民のために全力を尽くす。町民の絆を強めて、未来を切り開こう」。午後9時すぎ、当選の知らせを受けた柏原さんは、県漁協上関支店前の広場に姿を見せ、集まった約200人の支持者にあいさつ。「皆さんのおかげ」と深々と頭を下げた。

 町商工会など原発推進の各種団体の推薦と、大半の町議の支援を受けた。告示までにミニ集会を20回以上重ね、選挙戦では「町民の暮らしをどうするかが最大の争点」と強調。中学生以下の医療費の助成、高齢者のバス運賃補助など手厚い住民サービスを続けるとアピールした。福島の事故で町民の心も揺れた。しかし、多くは、町財政を潤す原発建設を進めてきた現職を引き続き支持した。

 柏原氏は、福島の事故にはほとんど触れなかった。原発建設に伴う国の交付金や中国電力からの税収を生かした町づくりが最善とした上で、今後について「国の判断を見守らざるを得ない」と強調。原発構想の浮上から30年にわたり推進派と反対派が対立してきた「重み」は国に伝えると繰り返した。

 一方、住民の大半を反対派が占める離島、祝島の事務所で落選の知らせを受けた山戸さん。町長選での反対派としての得票率は下がったものの「手応えはあった。原発に物申す姿勢を示せた」と前を向いた。

 選挙戦では、福島の原発の30キロ圏内で農業をしていた被災者も応援に駆け付け、惨状を訴えた。「原発関連の交付金はもう当てにできない。自然、漁業などそれぞれの地区の財産を連携させ、町の再生を図ろう」と主張した。しかし、祝島以外のエリアで十分に支持が広がらなかった。

≪上関原発計画の経過≫

1982年  6月 上関町長が町議会で、町民の合意を前提にした原発誘致を表明
83年  4月 祝島漁協が原発反対決議
85年  9月 町議会特別委が誘致請願を採択
88年  9月 町が中国電力に誘致申し入れ
96年 11月 中電が町や県に建設申し入れ
2000年  4月 中電が推進派漁協などと漁業補償契約締結
01年  4月 知事が計画同意の意見を国に提出
   6月 経済産業省が電源開発基本計画組み入れを決定
05年  4月 中電が詳細調査開始
08年  9月 町議会が埋め立てに同意する決議
  10月 知事が埋め立て免許を交付
09年  4月 中電が敷地造成に着手
  10月 中電が海面埋め立て着手。その後中断
  12月 中電が国に1号機の原子炉設置許可申請
10年  3月 中電が祝島で初の説明会を試みるが上陸できず断念
   9月 中電が台船を派遣し埋め立て再開を目指すが、反対派が抗議で阻止。
 以後、この動きが繰り返される
11年  2月21日 中電が台船など約30隻と約600人を派遣して埋め立てを再開
   3月11日 福島第1原発事故につながる東日本大震災が発生
     15日 中電が埋め立てを一時中断
   5月27日 周南市議会が中電に計画中止を申し入れるよう知事に求める意見書案を可決。
 以後、周辺の市町議会で「計画凍結」などを求める意見書案可決が相次ぐ
   6月27日 知事が埋め立て免許延長を現状では認めない考えを示す
   9月 2日 野田佳彦首相が就任会見で原発新設について「現実的に困難」と発言
     
「町の期待に応え最大限取り組む」

中電が見解

 中国電力上関原発準備事務所(山口県上関町)は、原発建設計画の推進派が推す柏原重海氏の当選について「町民の判断であり、その結果へのコメントは差し控える」としつつ、「豊かな町づくりに向けた町民の期待に応えるため、安全な発電所づくりに最大限取り組む」との見解を発表した。 (久保田剛、堀晋也)

(2011年9月26日朝刊掲載)

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