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社説・コラム

どう見る安保関連法案 慶応大大学院・山元一教授 

憲法 未完のプロジェクト 新解釈の承認あり得る

 安全保障関連法案は、武力行使への歯止めの甘さなど不備が多く、違憲の色が濃い。政府の説明も、できる限り武力行使を避けることを目指す憲法9条の意義を裏切っている。撤回し、内容を精査すべきだ。

 しかし、国際環境の変化に対応し、集団的自衛権をめぐる9条の解釈を変更するという選択肢は否定されるべきではない。仮に変えても、9条を「平和文化」のシンボルとして堅持し、常に武力に対し厳しい目を持つという意味で、その機能は変えてはならない。

72年の見解定着

 専門は憲法学や比較憲法学。死刑廃止の条文追加など、何度も憲法改正をしてきたフランスの憲法思想や、現代憲法理論を研究している。

 9条を文字通り解釈すると、日本は軍事的に丸腰でいて、国際社会に安全保障を委ねなければならない。自衛隊の存在は「戦力保持の禁止」をうたう9条と「正面衝突」しており、本来は違憲になるはずだ。憲法学界でも最近まで、こうした解釈が多数派だった。

 にもかかわらず、個別的自衛権や自衛隊を認めた1972年の政府見解は、今では定着している。72年見解は、9条を無視するような形で「解釈改憲」したといえる。72年見解の定着を認めるなら、将来的に新たな解釈が国民に承認され、正当性を獲得することもあり得る。憲法は完璧に仕上がっているものではなく、未完のプロジェクトだ。

批判に二重基準

 安保関連法案に反対する政党や市民団体などは、「戦争法案」との表現で批判を繰り広げている。

 安倍政権の憲法解釈変更への批判の中に二重基準が見られる。72年見解は「国民的熟議のたまもの」と認める一方、集団的自衛権の行使容認という新たな解釈は「立憲主義の否定」と批判する。二重基準に基づく主張には賛成しかねる。

 そもそも、個別的自衛権と自衛隊を認めたことの方が、集団的自衛権の行使容認よりインパクトは大きい。しかし、違憲派の論調には「個別的は健全で、集団的はいかなるものも悪」という誇張的な面がある。

 確かに、集団的自衛権は戦争を誘発する危険性をはらむが、それが全く認められない世界も恐ろしい。

 ある国が侵略を受けた場合、国連の軍事行動についての判断は安全保障理事会が独占している。常任理事国が1国でも拒否すれば、国連は動けず、侵略を受けている国は自国で防衛するほかに道はない。集団的自衛権には、世界の集団安全保障体制を補完する機能があるのは確かだ。(清水大慈)

(2015年9月15日朝刊掲載)

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