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社説・コラム

どう見る安保関連法案 写真家・大石芳野さん 

政権 9条ないがしろに 戦争の犠牲写し続ける

 戦争とは政治の暴力だ。安全保障関連法が成立しても、すぐに日本が戦争に関わることはないかもしれない。しかし、安倍晋三首相がいくら「自ら戦争をすることはない」と言い張っても、別の政治家が権力を持ったら、この法律をどう使うかは分からない。だから、私は法案に反対だ。

将来考え議論を

 フォトジャーナリストとして約40年間、ベトナム、カンボジア、コソボなどで戦争や紛争が人々に残した傷痕を撮ってきた。

 どんな時代の、どこの国をみても、戦争に正義も幸せもない。被写体になった人たちが一生懸命に語ってくれたのは、戦争のつらさ。こんな目に遭うのは自分たちでたくさんだという思いから、私にカメラを向けさせてくれる。

 安保関連法案を支持する人たちの主張は、植民地などで独立に反対していた人たちと重なっている。宗主国が守ってくれるから、自分たちの平和が末永く続くと考えている。ただ、日本は独立国であり主権国家。将来を見据え、この法案がどんな影響をもたらすかを冷静に見極める議論をしなければならない。

 民衆の力で戦争を止められるのは、ごく初期の段階だけ。戦争が本格的に始まると前に進むしかなくなるのだと、現場で話を聞いていて感じる。強引な解釈で憲法9条をないがしろにしようとする政権は危険だと思わざるを得ない。むしろ、他国から「戦争を放棄した9条があるから、日本を攻められない」と思われるような国づくりをしなければいけない。

広島を訪れ撮影

 この夏、広島、長崎の被爆者も登場する写真集「戦争は終わっても終わらない」を出版した。70年前の戦争は、過去のものではないと発信している。

 被爆者を初めて撮影したのは1984年。この8月も広島を訪れ、撮影させていただいた。被爆者を含めて戦争の体験者は減っているが、本人や家族にとっては何年過ぎようと終わりはない。表面的な記憶の風化にとらわれることなく、目の前にある存在を大切にしなければと思う。

 戦争で犠牲を強いられるのは、社会的に立場が弱い人。その人は自分だったかもしれないと思うし、写真を見る人にもそう感じてもらえるようにシャッターを切っている。平和が続けば、いつかは戦争を知らない世代だけになる。「経験していないから、戦争が分からない」という言葉が当たり前になるような社会にはしたくない。(藤村潤平)

(2015年9月17日朝刊掲載)

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