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社説・コラム

『潮流』 東西統一の25年

■ヒロシマ平和メディアセンター編集部長・宮崎智三

 40年以上続いたドイツの東西分断が解消されて、来月3日で四半世紀。格差は、どれほど縮まったのだろうか。

 統一直後に訪れた首都ベルリンで見た光景が忘れられない。ベンツやBMWなどの高級車に交じって行き交う時代遅れの小さな車。旧東ドイツ製のトラバントである。車一つとっても、明らかな優劣があった。分断が生んだ差は今後どうなるのか、考えると、統一の喜びや熱気が薄らぐようだった。

 「100年たっても、決して格差は解消しないわ」。ドイツ在住のイタリア人記者に話を聞くと、そう言い切っていた。イタリアでは豊かな北部が貧しい南部を100年間、財政支援し続けてきた。それでも差は縮まらない。きっとドイツも同じ、西から東へ支援を重ねても差は解消されない、というのだ。驚くより先に違和感を覚えた。

 実際はどうなのか。失業率などでなお東西に開きがあるのは確かなようだ。一方で、東ドイツ出身のメルケル氏が首相の座に就いて、この11月で丸10年。少しは差が縮まってきた証しといえるのかもしれない。

 さらに今、新たな格差が生じそうだ。欧州に次々に流入してくる難民や移民である。メルケル氏は積極的に受け入れる方針だが、ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を引き起こした歴史がある。受け入れには、ドイツ人同士の時以上に相当な覚悟を国民に強いるに違いない。

 25年前の日本を思う。まだバブル景気に浮かれていた。「一億総中流」という言葉も、あながち誇張だとは思えなかった。統一ドイツについても、いつかは東も西並みになる。そう信じられた。

 今はどうだろう。日本国内でも格差は広がり、「総中流」は一瞬の夢だったとさえ思う。ドイツのような覚悟を決められるのか、問い掛けられているように感じる。

(2015年9月17日朝刊掲載)

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