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社説・コラム

平和憲法の存立危機だ 安保法案参院委可決

■編集局長・江種則貴

 国会議事堂を連日取り囲んだ叫びが耳に届かないはずはない。欠陥だらけの安全保障関連法案が、大多数の主権者の反発をよそに、参院特別委員会で可決された。民主主義を「存立危機事態」に陥れる暴挙というほかない。

 つい先日、安倍晋三首相が「法案に支持が広がっていないのは事実だ」との認識を示したばかりだ。まさにその通りなのだが、首相は続けて「成立した暁には間違いなく理解は広がっていく」とも言い放った。

 その感覚を疑う。国民が問題点を痛感するからこそ、反対の声は日増しに高まった。なのに首相や周辺は「私が最高責任者だ」「法的安定性は関係ない」などと挑発的な発言を繰り返した。全国各地でデモや集会が盛り上がったのは、法案の中身もさることながら、国民を愚弄(ぐろう)するかのような為政者の姿勢があまりに大きい。

 そもそも、時の内閣が憲法解釈を百八十度変えてしまうことは、主権者をないがしろにする行為に等しい。最後は国民投票で改憲の是非を判断するという権利を踏みにじるからだ。

 それなのに、どうしてここまで急ぐのか。米国と約束したからと言われれば、納得できないまでも事情は推察できる。ところが「わが国を取り巻く安全保障環境が様変わりした」と繰り返されても、到底理解できない。

 確かに東アジアには今、冷たい風が吹きすさぶ。あちこちを自国の領土・領海だと言い張る隣国は、もちろん苦々しい。だからといって法の成立を急ぐほどに、かえって地域の緊張を高めることは自明であろう。信頼関係を醸成する外交努力が不可欠だと、安倍首相自身も認めていたではないか。

 首相は、国民の命を守る法案だと言う。だが被爆地広島からすれば、そこにも引っかかりを覚える。

 米国が差し掛ける「核の傘」にわが国の安全保障を頼るのが日米安保条約である。そして両国の同盟関係を強める今回の法案は、核抑止力への依存強化と同じ意味を持つ。核のない世界に逆行するうえ、敵味方双方の国民の命を手玉に取り、東西冷戦時代の再来を思わせる綱渡り状況を、いったい誰が「平和」と呼ぶのか。

 原爆の投下責任をあいまいにしたまま、わが国は戦後このかた、戦勝国と付き合ってきた。それは、70年前の焦土から経済的な復興を果たす原動力だったに違いないが、では、政治的な独立を果たしてきたと胸を張って言えるだろうか。沖縄をはじめ中国山地の上空を米軍機が行き交う。そうした日常を根本から問い直さないまま、平和憲法を骨抜きにする安保法制を成立させていいはずがない。

 私たちはいま、歴史の分岐点に立つ。

(2015年9月18日朝刊掲載)

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