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社説・コラム

社説 安保法制と憲法 民主政治は危機迎えた

 この国の民主主義は、もはや引き返せないほどに劣化してしまったのだろうか。

 複雑で多岐にわたる11本を束ねた安全保障関連法案は確かに衆参両院で42日間、216時間にわたって審議された。それでも数多くの疑問は一向に解消されていない。

 とりわけ私たちが最も危惧するのは集団的自衛権の行使容認が憲法に違反している疑いが極めて濃いことだ。

 憲法9条は第1項で戦争放棄を、第2項で戦力を持たないことをうたう。内閣法制局は1972年の見解で他国を助ける集団的自衛権の行使について「憲法上許されない」と明確にした。日本の国是である「専守防衛」とともに、その考え方は広く国民に受け入れられてきた。

 しかし、安倍政権は昨年7月の閣議決定で、これまでの見解を百八十度ひっくり返した。そして今回の法案で国民の生命や権利に明白な危険が迫る「存立危機事態」に限り、集団的自衛権が使えるようにした。

 しかし国会で野党から繰り返し指摘されたように、その存立危機事態の定義は極めてあいまいである。どんな場合に危機なのか。いくらただされても「総合的に判断する」との答弁にとどまった。つまり法による明確な歯止めがなく、時の政府の裁量が大きすぎるということだ。そのことに強い不安を抱かざるを得ない。

 多くの憲法学者らが「違憲」としている。憲法に対する「クーデター」という批判もある。政府が最高裁による59年の砂川判決を「合憲」の根拠としていることについても、元最高裁長官の山口繁氏が「矛盾がある」と非難したことは重要だ。

 憲法擁護義務を負う政治家が憲法を顧みていない。そうだとすれば憲法が権力を縛るという「立憲主義」や法の支配が揺らいでいることになる。民主主義が危機にさらされている。

 そうした視点に立つなら、礒崎陽輔首相補佐官の「失言」の意味は重い。「法的安定性は関係ない。わが国を守るために必要かどうかを気にしないといけない」というものだ。批判を浴びて撤回したものの、まさに事の本質を言い当てたことになろう。

 国防のためなら権力が法や法解釈を変えてもいいという考え方は、あまりに乱暴すぎる。政府が繰り返し口にした「日本を取り巻く安全保障環境の変化」はまさにそれに当たろう。

 参院審議に入ってからは政府答弁で、軍事力を増強し海洋進出の野望を隠さない中国の脅威を強調してきた。新たな法整備の大義名分は日米同盟を強化して「抑止力を高めて国民の平和を守る」ことだという。

 仮にそれが正しいとすれば、憲法改正に真正面から挑むしかないはずだ。それができないから憲法解釈の一方的な変更と、ずさんな法整備で済ませようとするのはおかしい。

 そもそも9条が強く打ち出す平和主義が、本当に現実の国際情勢には対応できないのか。日米が抑止力ばかりに頼れば、相手の軍拡を呼ぶ負のスパイラルに至る。それには核兵器が含まれる。だからこそ被爆地は異を唱えてきた。

 戦後70年の平和主義と立憲主義を揺るがす安保法案を、私たちは認めることはできない。

(2015年9月19日朝刊掲載)

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