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証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 長沼治子さん―母呼ぶ兄弟 忘れられず

長沼治子(ながぬま・はるこ)さん(84)=広島市中区

寺で救護。被爆者苦しみ地獄のよう

 やけどの傷口にわいたうじ虫、母親を呼ぶ少年…。14歳の女学生だった長沼(旧姓香川)治子さん(84)は、被爆者を世話した体験をずっと「封印(ふういん)」してきました。あまりに恐ろしい光景で、思い出したくなかったからです。しかし、被爆70年のことし、父の同僚(どうりょう)が残した被爆体験記を手に取りました。「私が見たままだ」。当時の自分と向き合いました。そして、自身の記憶も伝えてみようか―。「あの時」について初めて語りました。

 父督郎(とくろう)さん(1905~86年)が徴兵されたため45年春、京都市から祖母の住む広島県可部町(現広島市安佐北区)に疎開(そかい)してきました。県立可部高等女学校(現可部高)に転入。3年生でした。

 学徒動員先の大和(やまと)重工業(現大和(だいわ)重工、安佐北区)では手りゅう弾を作っていました。8月6日朝、1週間続く夜勤に備え、風呂(ふろ)で髪(かみ)を洗っていた時です。ピカッと光りました。「シャボンが目に入ったのかな」。その後、「ドン」という音。家の外に出てみると、ものすごく大きなきのこ雲がわいていました。

 昼ごろ、動員先の工場に向かう道で擦(す)れ違ったトラックを見て、ぞっとしました。屋根のない荷台に、やけどを負った人たちが山のように乗せられています。「何か分からず、幽霊(ゆうれい)かと思った」。工場に着くと「広島にひどい爆弾が落とされたから、今日は帰りなさい」と言われ、家に戻りました。

 翌日、救護のため近くの品窮寺(ほんぐうじ)に行って見た光景は、地獄のようでした。本堂の中も廊下も埋め尽くした、皮膚(ひふ)の焼けただれた人たち…。傷口にわいたうじ虫を箸(はし)で取り、瓶(びん)に入れます。いっぱいになると、境内のたき火に放って戻ります。が、戻ると、傷口にはもううじ虫がわいているのです。真夏の暑さが、傷から発する臭いを強めていました。

 「ママ、ママ」。悲しい声を上げていたのは、兄弟と思われる10歳前後の2人。母親はどこにいるのか分かりません。かわいそうでたまりませんでした。

 一夜明けて行くと、亡くなったのか、大半の人はいなくなっていました。少年2人の姿もありませんでした。看病は1週間続きました。

 5年後、同じ被爆者だった博さんと結婚。2人の息子を産み育てましたが、原爆について話す機会はありませんでした。子育てが忙しかった上、「戦争は終わった」と心の中で無理に片付けていたのかもしれません。

 ただ、木材を彫(ほ)って立体的な文字を作る趣味(しゅみ)の「刻字」では、平和への思いを作品に込めました。被爆クスノキを使った「蘇(よみがえる)」の字は、品窮寺で見た少年2人を思いながら彫りました。彼らを忘れられず、その命がいとおしかったからです。

 ことし7月、92歳の夫をみとった後、父と同じ三菱(みつびし)銀行(現三菱東京UFJ銀行)広島支店に勤めていた男性の被爆体験記に出合いました。懐(なつ)かしい名前を目にし、一気に読み上げると、あの光景が目の前に。70年前に戻ったかのようで、当時を振り返るきっかけになりました。

 「怖いと感じた思い出から逃げたくて、話せなかった。戦争は絶対にいけない。平和じゃないと何もできない」。今もあの日を思い出すたび、涙(なみだ)が頬を伝います。悲しい体験が二度と繰り返されないよう、願っています。(山本祐司)

私たち10代の感想

平和への思い伝えたい

 「平和でなければ何もできない」。その言葉が、とても印象深かったです。私たちが今、学校に行くことができ、さまざまな自由を得ているのは、平和が実現できているからこそだと思います。戦争の記憶を封印していた長沼さんが今回取材に応じてくれた思いをしっかり受け止め、伝えていこうと心に決めました。(高1芳本菜子)

子どもの労働に違和感

 戦地に行った男性に代わり、女性も子どもも労働にかり出された時代。それが「当たり前」でしたが、自分と同じ年頃の女子が工場で昼も夜も兵器を作っていたと考えると、違和感(いわかん)を覚えます。私には耐(た)えられません。しかし、そんな自分でも当時は従ったと思います。反対の声も上げられない戦争は恐ろしいと、あらためて感じました。(高2上原あゆみ)

悲惨な光景 想像できぬ

 当時14歳の長沼さんは、やけどを負った被爆者からうじ虫を取っていました。怖くても、痛がる被爆者のために、手を尽(つ)くしました。私はうじ虫を見たことがなく、人にわいていたとは想像もできません。そんな恐ろしい光景は見たくないです。罪のない市民が巻き込まれる戦争は、二度と起こしてはいけません。(高2福嶋華奈)

(2015年10月5日朝刊掲載)

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