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舟入病院 120年の歩み刻む 原爆焼失以前の病院写真を募る 広島市中区

 広島市立舟入市民病院(中区)はことし、120周年を迎えた。日清戦争の帰還兵の伝染病対策として旧陸軍が開いた病院が前身。記念誌を来春発行する計画で、原爆で焼失する以前の同病院の写真を募っている。

 陸軍などの記録によると、コレラなどの伝染病流行によるベッド不足を受け「似島避病院船入村分室」として1895年7月開院。後に東京市長や鉄道院総裁などを務めた後藤新平が尽力したとされる。同年10月に市に移管し、1906年に市船入病院となった。

 戦後も被爆者の人間ドックや夜間救急、小児救急など行政施策に連動した医療を担い、市民の健康を支えてきた。今月31日には記念式典を開く。

 44年の火事や原爆で資料や写真の多くが焼失したため、記念誌編さんに必要な明治期-戦前の写真を一般から募ることにした。

 柳田実郎病院長は「原爆で被災していない郊外などに写真が残っていれば情報を寄せてほしい。初の病院史として、古い話をできる限り多く盛り込みたい」と話している。同病院120周年記念事業担当Tel082(232)6149。(馬場洋太)

≪舟入市民病院の主な歩み≫

1895年 7月 旧陸軍が似島避病院船入村分室(広島市史は陸軍衛戍=えいじゅ=病院伝染病棟と表記)を
         開設
   同年10月 広島市西伝染病院となる
1906年 4月 広島市船入病院に改称
  45年 8月 原爆で全焼。市中心部に臨時伝染病院を開設
  71年11月 敷地内の市立中央診療所、市舟入被爆者健康管理所と統合し、市立舟入病院が発足
  98年 3月 全面改築した本館が完成
2002年10月 小児救急医療拠点病院に指定
  14年 4月 地方独立行政法人化を機に舟入市民病院に改称

(2015年10月10日朝刊掲載)

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