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連載・特集

2001被爆者の伝言 瀬戸高行さん (下) 核兵器廃絶まで座り込み続けんと

瀬戸高行さん(75) 広島市安佐南区相田

 黙って座り込んでいて、これで良いのか、疑問を持ったこともある。かと言って、できることは、ほかにない。核実験があれば、座り込んででも、抗議の姿勢を示すことが大事なんじゃないか。被爆者は核実験を許さない。その姿勢を見せ続けんといけん。

 座り込みをすると、夏は暑いし、冬は寒いし、気持ちの面では、随分つらかった。でも、核実験は、一度や二度の座り込みで止められるもんじゃない。続けにゃいかん、と言い聞かせとった。

 ▽連鎖的に抗議拡大を

 原爆慰霊碑(広島市中区)前での被爆者たちによる核実験抗議の座り込みは、現在までに五百回を超す
 初めて座り込んだんは、一九七三年七月二十日だった。核実験を強行しようとするフランスに抗議するためだった。

 原水禁大会の分裂から十年たったころで、広島の原水禁運動や被爆者運動は、被爆二世の健康問題など共通の課題で盛り上がっとった。みんなの意識が一番高かった。二世の問題で共同行動をとるうちに、核実験への抗議行動でも、歩調を合わせることになったんだと思う。

 初回は、後に座り込みのシンボルにもなる森滝市郎広島大名誉教授(一九〇一~九四年)をはじめ、二つの広島県被団協など十七団体、百三十人が参加した
 森滝さんは、座り込みの広がりを、「人間精神の連鎖反応」と表現した。私は森滝さんの言うように連鎖反応的に核実験反対の声をもっともっと大きな輪にしようと考えとった。七五年の末からは、広島駅前でも座り込みを始めた。県内外に輪は広がっていった。

 座り込みの最中は、いろんなことを考えた。広島駅で働いとって被爆した時のこと、同僚が死んだこと…。そのたびに二度と人間の上に原爆を落としちゃいけん。戦争をやっちゃいけん。あらためて、そう思った。

 五百回目は、九六年九月二十五日。爆発を伴うあらゆる核実験を禁じる包括的核実験禁止条約(CTBT)が国連総会で採択されたのを機に行われ、被爆者への報告の意味を込め、初めて慰霊碑に向かって座った
 ▽CTBT軽視許せん

 今米国がCTBTを批准せんと言っとる。せっかく、座り込みを続けてきて国際的に反核世論が高まり、核実験を禁じる条約ができたのに…。これを許してしまうと、核保有国はますます核兵器廃絶への努力をさぼっていく。

 被爆者として、座り込みを続けてきた者として、とても悔しい。米国の態度を見ていると、体調を崩して活動から身を引いた今は歯がゆく思えて仕方ない。

 被爆者は、ますます高齢化していく。今後は、被爆二世が「被爆者運動を継承、発展させるんだ」という決意に立ってくれんと。被爆二世に、これからの運動の中心になってもらいたい。

(2001年7月25日朝刊掲載)

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