×

ニュース

福島第1原発 本紙記者ルポ 核の脅威まざまざ

「1ミリシーベルト」凍り付く 増え続ける汚染水

 フクシマは、ヒロシマが訴えてきた核被害の悲惨さをまざまざと示した。12日、事故後初めて公開された東京電力福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)。水素爆発で上部が吹き飛んだ原子炉建屋が無残な姿をさらす一方、放射能汚染水の処理のための新しいタンクが並ぶ。見えない放射線の強い脅威を痛感した。(岡田浩平)

 原発から20キロ離れた東京電力の対応拠点「Jヴィレッジ」で防護服に着替え、綿とゴムで2重の手袋と帽子、ビニールの靴カバーを着けてバスに乗り込む。所々崩落した道路を進み、原発の3キロ手前で顔全体を覆うマスクを装着。息苦しさを感じつつ正門を入った。車内の放射線量は出発時の10倍の1時間当たり15マイクロシーベルトだった。

 まず驚いたのが立ち並ぶタンクの数だ。大きいものは直径12メートル、高さ10メートル。敷地内に14万立方メートル分ある。事故収束へ原子炉を冷やし続けるしかなく、大量の汚れた水が日々、たまっていく。汚染水の濃度を下げる外国製の設備からは高レベルの放射性廃棄物が排出される。その廃棄物を一時貯蔵するコンクリート製の頑丈な建物もできていた。

 北東に4号機の原子炉建屋(地上5階、地下1階建て)が迫った。水素爆発で西側の壁は3階以上がほぼ崩れ落ち、骨組みの間から原子炉格納容器の黄色いふたが見えた。南の壁側には使用済み核燃料プール上部の設備ものぞく。

 やはり水素爆発した3号機の屋上部分は原形をとどめていない。骨組みがむき出しになり、内側に丸く曲がった様は、核爆発ではないが、原爆ドーム(広島市中区)を思い起こさせた。

 1号機に向かって北に進む。震災から8カ月たった今も、津波で破壊された建物や横転した車が残る。3号機前で空間放射線量が1ミリシーベルトに達した。1時間で一般人の年間限度に達する高い値だ。数字を告げられた瞬間、驚きでメモをとるペンが止まった。

 1号機はカバーで覆われていた。付近の道路には、オレンジ色のホースが3本はう。その先にはトラックの荷台に積まれたポンプ3台。原子炉を冷やす水を送り込む、「生命維持装置」に思えた。

 「前線基地」である免震重要棟2階の緊急時対策本部室では150人ほどの東電社員らが詰めていた。吉田昌郎所長は報道陣に「プラントが安定しているのは間違いない」と繰り返した。階段の壁には、国内外から届いた励ましの寄せ書きや千羽鶴が飾られていた。  およそ3時間の原発取材で個人線量計は73マイクロシーベルトに達した。外部、内部被曝(ひばく)ともに測定機械は「異常」を告げなかった。

 この日も屋外で働く作業員の姿が随所に見られた。厳しい環境で働く作業員たちの健康が気に掛かる。万一病気になった場合の十分な援護は欠かせない。66年前の放射線被害にいまだ苦しむ被爆者が身をもって教えている。

(2011年11月13日朝刊掲載)

年別アーカイブ