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「水木しげるの戦争と新聞報道」展 横浜 漫画が伝える兵士の苦難

 来月8日は、太平洋戦争開戦からちょうど70年。戦争の現実や当時の新聞報道を振り返る「水木しげるの戦争と新聞報道」展が、日本新聞博物館(横浜市中区)で開かれている。境港市出身の漫画家水木しげるさんが戦場体験を描いた漫画と、当時の新聞を並べて展示。「勇猛」「武勲」などと伝える記事の陰で、過酷な戦場を経験した一人一人の兵士の存在があったことを浮かび上がらせている。(守田靖)

 水木さんは1943年、陸軍2等兵として南方の激戦地ニューブリデン島ラバウル(現パプアニューギニア)へ送られた。マラリアに罹患(りかん)し、空襲で左腕を失った。戦後、漫画「ゲゲゲの鬼太郎」がヒットする一方で、過酷な戦争体験を伝えたいと漫画「ラバウル戦記」「娘に語るお父さんの戦記」「総員玉砕せよ!」などを相次いで発表してきた。

 水木さんの約90点の絵は、自身の体験をベースにラバウルに向かう船をうなだれて待つ兵士の群れや、爆風にあおられる中、必死に逃げ惑う兵士などを描いている。「新兵は船底に牛馬のように詰め込まれた」「上官から親への遺書を書けと命じられ、ここが死地と悟った」。添付された水木さんの説明書きが胸に迫る。

 一方、1941年の開戦から1945年の終戦までの全国紙や地方紙の本紙や号外、写真ニュースなども約90点。開戦時は「英米に一大鉄槌(てっつい)を」と勇ましい論調だ。1942年6月のミッドウェー海戦は実際は大敗だったが、大本営発表を受け東京日日(毎日)新聞は、「戦史を絶するほどの戦略」と報じ「東太平洋の大勝」との社説を掲載した。1944年1月の中国新聞は、ラバウル連続空戦の見出しで「敵機38機撃墜し、我が方被害なし」と発表通り報じた。

 展示は「大本営発表」を成立させた背景にも触れる。開戦前年の1940年12月に内閣情報局が設置されて情報の一元管理が強化され、1941年1月には内閣総理大臣の記事差し止め権が認められた。開戦3日前には、「日本軍に対する国民の信頼を強化する」よう義務づける情報政策の基本方針が閣議決定されている。

 アッツ島玉砕、サイパン陥落、沖縄本島への米軍上陸…。当時の新聞が戦況を克明に報じているのは意外だが、それは国民に覚悟を迫る論調とセットになっている。

 水木さんが召集された1943年。アッツ島玉砕には、新潟日報夕刊が「アッツ島の将兵に続け」と呼び掛ける談話を掲載。硫黄島や沖縄の戦いに、読売報知は「一人まで戦はん」と国民を鼓舞する小磯国明首相の放送要旨を載せ、信濃毎日新聞は社説で「沖縄の勇士に応へよ」とした。

 同博物館の藤高伊都学芸員は「一言で『玉砕』と書いた記事の裏に、水木さんのように地をはうような体験をした人がいたことを伝えたくて両者の展示を考えた。言論統制もあったが、新聞が一人一人の兵士や国民の実情を伝えるには限界があることが、あらためて浮き彫りになっているのでは」と話している。

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 同展は12月25日まで。月曜休館。

(2011年11月26日朝刊掲載)

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