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証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 竹島直枝さん―被爆者救護 使命感だけ

竹島直枝(たけしま・なおえ)さん(87)=広島市中区

感情押し殺し飲まず食わずで続けた

 原爆が街を破壊(はかい)したあの日、広島赤十字病院(現広島赤十字・原爆病院、広島市中区千田町)に設けられた救護所で、看護学生だった17歳の竹島直枝さん(87)は、必死の救護に当たりました。自分も被爆し、左足は動きません。しかし目の前には治療(ちりょう)を待つ人たちの長い列。自分のことは気にしてはいられません。頭にあるのは「助けなきゃ」という使命感だけでした。

 3歳の時に満州事変が起きて以来、日本が相次いで戦争する中で育ちました。「戦地に行って、お国の役に立ちたい」。従軍看護婦になる目標を立て、実家のある広島県上下町(現府中市)の県立上下高等女学校(現上下高)を卒業。親元を離(はな)れ、同病院に併設(へいせつ)された「日本赤十字社広島支部甲種(こうしゅ)救護看護婦養成部」に進みました。

 2年生だったあの日、爆心地から約1・5キロ離れた病院の隣(となり)に立つ、寮(りょう)の1階にいました。部屋で2段ベッドの下段に座り、友だちと話していた時、カメラのフラッシュのような光に包まれました。「焼夷弾(しょういだん)!」。思わず叫(さけ)び、目と耳を押さえて伏(ふ)せました。と同時に、崩れてきた建物の下敷きになりました。

 「助けて」。隣にいた下級生の声で、意識を取り戻しました。暗闇(くらやみ)の中、崩れた壁の向こうから光が差し込んでいます。体が木材に挟(はさ)まれ、動けません。そのうち、がれきが取り除かれ、助けに来た入院中の兵隊に引っ張り出されました。

 太ももが柱に挟まれた左足は紫(むらさき)に。力が入りません。中庭に集まったところ、「表で救護しなさい」という看護婦長の指示が出て、玄関前の仮設救護所へ、棒を突きながら歩いて移動しました。

 目に入ってきたのは、電車通り沿いに続く被爆者の列。北は市役所、南は御幸(みゆき)橋から並んでいました。前に突き出た腕からは、やけどで皮膚(ひふ)が垂れ下がっています。救護とはいえ、ガーゼもピンセットもない状況。器に入れたやけど治療用のチンク油に手のひらを浸し、患者(かんじゃ)の傷に付けます。顔一面にガラスが刺(さ)さり、ピンクになった同級生もいました。

 飲まず食わずでも看護できたのは、「喜怒哀楽(きどあいらく)がなくなっていたから」と振り返ります。「かわいそうと思っていたら、助けられなかった」。無意識に感情を押し殺し、目の前のけが人に向き合っていた心中を明かします。胸膜(きょうまく)の炎症(えんしょう)にかかり、11日に帰郷するまで看護を続けました。

 戦後は、上下町や広島市内の小学校の養護教諭(きょうゆ)に。定年後も短大に勤め、1994年まで48年間、学びやで子どもと過ごしました。平和教育では自身の被爆体験を話し、「戦争をするとこうなる。命は大切にしないといけない」と語り掛けました。

 その中で、子どもの変化を感じることがありました。「他人を思いやる気持ちが薄(うす)らいできたのでは」。自分だけでなく相手の立場に立つことは、命を尊重し平和を築くことにつながります。しかし、自由な社会になり、自分のことしか考えていないような子どもが、目に付くようになりました。

 高度経済成長を機に増えた核家族。朝食を取らずに登校する児童や、親子の会話が少ない家庭などが目立ち始めました。戦争の恐ろしさを直接知らない戦後生まれの親が増え、わが子に伝える機会も減っている―。「家庭でも平和の大切さについて話し合ってほしい」と願います。(山本祐司)

私たち10代の感想

違う「当たり前」に恐怖

 「従軍看護婦になって戦地に行きたかった」と話す竹島さん。70年前は当たり前のことでした。今、同世代が「戦争に行きたい」と言ったら、変だなと思います。私にとっての当たり前は、大切な家族と一緒に暮らし、好きなバドミントンに励(はげ)むこと。戦争は、少女の「当たり前」も国の都合のよい方に変える、とても怖いものです。(中2岡田日菜子)

人間らしさを奪う原爆

 竹島さんは被爆直後、「救護しなくては」という使命感しかありませんでした。けがや恐ろしい体験をしても、命を救おうとする精神に驚(おどろ)きました。喜怒哀楽を感じなくなり、大やけどを負った被爆者を見ても「かわいそう」とは思わなかったそうです。肉体を傷つけ人間らしい感情も壊(こわ)す原爆の恐ろしさを、あらためて感じました。(高1溝上希)

平和な世界へ願い強く

 今の若者について、竹島さんは「強い意志を持つことを忘れている」と指摘しました。戦時中に比べ、自由が与えられています。しかし自由ゆえに政治や外国の歴史に無関心な面もあります。「幸せになりたい。平和な世界をつくりたい」。そう私たちが強く願わないと、戦争に巻き込まれる危うさを感じます。(高2高矢麗瑚)

(2015年11月16日朝刊掲載)

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