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証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 松尾清子さん―「お母さん」夜通し叫ぶ

遺骨すら見つからず。泣き暮らした日々

松尾清子(まつお・きよこ)さん(77)=広島市中区

 何で助かってしもうたんじゃろ。死んでしまいたい―。6歳で母を失い、孤児(こじ)になった松尾(旧姓長滝)清子さんは被爆後、泣き暮らす日々を過ごしました。当時は、三篠(みささ)国民学校(現三篠小、広島市西区)の1年生。きょうだいがおらず、鉄道員だった父は、その5年前に仕事中の事故で亡くなり、横川町2丁目(現西区)で母タケノさんと2人暮らしでした。

 1945年8月6日朝7時ごろ、タケノさんは土橋町(現中区)での勤労奉仕(ほうし)に出掛(でか)けていきました。松尾さんは近所の友達の家に行き、2階で2人で遊んでいました。暑くて上半身裸(はだか)になっていたところ、突然(とつぜん)ものすごい光とごう音に襲(おそ)われました。

 その家は倒壊(とうかい)。友達と何とか外に出ましたが、あちこちで火災が起き始めました。「お母さーん」と泣(な)き叫(さけ)びながら、友達と大人たちの流れに付いて逃(に)げました。

 「黒い雨」にぬれ、たどり着いた防空壕(ごう)は、やけどを負った人や死んだ人でいっぱい。裸のまま、怖(こわ)さと寒さに震(ふる)えていると、子連れの見知らぬ女性が「大丈夫じゃけ。泣かんのんよ」と言って、男物の肌着(はだぎ)を着せてくれました。

 その日は友達と三滝(みたき)寺(現西区)で一夜を明かしました。一晩中、苦しげなうめき声が絶えません。闇(やみ)の向こうに赤く燃える街が見えます。お母さん、どこにおるん―。その夜、何度そう叫んだでしょうか。

 被爆の3日後、松尾さん母娘を捜(さが)し回っていた祖父と、長束(ながつか)(現安佐南区)の交番で偶然(ぐうぜん)出会いました。そのまま祖父母の家(現安佐北区)に身を寄せました。結局、母とは会えずじまい。遺骨すら見つかりませんでした。

 祖父母の元で、同じように戦争で父親を亡くしたいとこたちも一緒(いっしょ)に暮らし始めました。学校には、幼いいとこをおぶって通いました。

 髪(かみ)や眉毛(まゆげ)が抜け落ち、顔は傷とかぶれだらけ。傷口からは、うみがぐちゃぐちゃ出ていました。近所の子どもたちから「ピカドンドン」などとからかわれ、石を投げられたことも。家のそばを流れる川の土手で「お母さん、会いたいよ。死にたいよ」と、毎日涙(なみだ)を流していました。

 崩(くず)れそうな心を支えてくれたのは、近所に住む一つ年上のお姉さんでした。泣いていると、いつの間にかそばに来て寄(よ)り添(そ)ってくれる。「大丈夫(だいじょうぶ)よ」。貸してくれた多くの本を夢中で読みました。つらいことを全て忘れられる時間でした。彼女とは今でも仲良しです。

 貧しい暮らしでしたが、祖父母は明るくたくましく育ててくれました。中学卒業後は京橋町(現南区)で住み込みで働きながら理容学校に通い、理容師免許(めんきょ)を取りました。22歳で夫の隆如(たかゆき)さん(6月に死去)と結婚(けっこん)。「原爆症は人にうつる」「被爆者は子どもを産めない」など偏見(へんけん)に基づく差別があったころ。そのため結婚前は互(たが)いに被爆者であることを隠(かく)していました。

 夫婦で理容室を営み、2人の娘、6人の孫に恵(めぐ)まれました。「私たちのようなつらい思いをする人を二度と生んではいけない」。孫が20歳の誕生日を迎(むか)えると、一緒に原爆ドームを訪れ、被爆体験を語っています。これまでに話したのは4人。真剣(しんけん)な顔で聞く孫たちの姿に、若者に伝える大切さを感じています。(教蓮孝匡)

私たち10代の感想

「大丈夫」のありがたさ

 「大丈夫(だいじょうぶ)よ」。戦後、川岸でよく泣いていた松尾さんの心に響(ひび)いた言葉です。苦しい時に声を掛(か)けてもらえるありがたさに気付きました。被爆体験だけでなく、だれかが掛けてくれる声が、目の前が真っ暗になっている時に救いになることがある、ということを伝えていきたいです。(中1斉藤幸歩)

出会い大切に思い発信

 6歳で母親を失い、孤児(こじ)になった松尾さんは、笑顔を見せない子どもでした。しかし、広島に出てきて、人との出会いによって次第に変わっていったそうです。今回の取材中も、笑顔を見ることができました。

 僕もひとつひとつの出会いを大切にして、被爆者の思いを発信していきたいです。(中3上長者春一)

幼子から親奪った原爆

 松尾さんは両親を失い、祖父母に育てられました。親を亡くしたり、学校で差別を受けたりした悲しみから、近所の川の前でずっと泣いていたそうです。小学生の時から親がおらずに生きていくのは、私なら耐(た)えられません。小さな子どもから親をも奪(うば)った原爆は二度と使ってはいけないし、戦争も起こしてはいけません。(高2福嶋華奈)

(2015年12月7日朝刊掲載)

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