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連載・特集

サンフレッチェ広島監督 森保一手記 広島の街 元気にしたい

 18歳で前身のマツダSCに入って以来、ずっと広島にサッカー文化を根付かせたいと思ってきた。

 選手には勝つことが大切だと伝えている。勝つことが一番認めてもらえ、何より応援してくれる人に喜んでもらえる。ただ勝ちにはこだわるけど、最後まで粘り強く戦うことを大切にしている。

 第2ステージ優勝の後、一般の方に「選手が最後まで粘り強く戦い抜く姿が日常生活にリンクする」と声を掛けられた。頑張るって人それぞれの感覚があるけど、一生懸命、ひたむきなプレーは見る人の心に響くのかな。

 特別な力を持つ人もいるけど、大抵の人は積み重ねが大事になる。練習力、継続力があるから結果を出してこられた。ベースがしっかりしているチームほど強い。何をやるにしても土台がしっかりしていないと、その後のオプションにつながっていかない。小手先に頼らず、基本的なことをやり続けることが大事。

 指導者や監督は結局、自分の生きざまをどう戦術に生かせるかだと思う。偽りのない自分が出る。その部分では自分らしくできているのかなと思う。

 自分たちの成功のためにやっているけど、結果を出すことで喜んでくれる笑顔は喜び。政財界の尽力でサンフレッチェが生まれ、応援も受けて、23歳まで育ててもらった感謝がある。地域に恩返ししなければいけない。

 スポーツの世界から、平和都市広島から、被災地広島から何を発信できるのかが見たくて今年の8月6日、マツダスタジアムへ行った。高校まで長崎で育ち、被爆地でずっと過ごし、平和について考えてきた。だから原爆が投下された8月の6日と9日は多くの命が奪われた日として忘れない。せっかく二つの地で生活しているなら、僕の立場で何かを伝えたいと思っている。

 現役の最後は仙台で2年プレーした。専用スタジアムがあり、お客さんの熱がピッチに伝わり、体が勝手に動く雰囲気の中でやれた。老若男女、3世代で見に来てくれた。仙台では一般の人の話題にサッカーがあった。生活の一部に溶け込み、コミュニティーがつくれていた。

 サンフレッチェがおらが街のチームになり、サッカーを通して元気になり、経済的にも心も潤うような雰囲気が、広島にできればいいなと思っている。

 監督として永久にクラブにいるわけではない。育成型クラブの方向性を確立し、サッカー文化を広島に根付かせ、専用スタジアムの恩恵を共有する。僕はこれらを未来につなぐために、いまの仕事を預かっている。

(2015年12月6日朝刊掲載)

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