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連載・特集

『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <2> 出合い

3歳で教室入り夢中に

  父準(ひとし)さん、母敏子さんの長女として広島市で生まれた。6歳下の妹と2人姉妹で、江波(現在の中区)で過ごした
 私が生まれたのは、広島に原爆が投下されてから3年後です。でも焼け跡はあまり覚えていません。それだけ復興が進んでいたのでしょう。当時の人たちのすさまじい努力とたくましさがあったのだと感じています。覚えているのは、自宅近くの川で遊んだこと。水着を着て浮輪を持って、よく泳ぎに行っていました。

 実は子どものころ、すごく体が弱かったんです。夜中にしょっちゅう、町のお医者さんの所に行っていました。医者からは「何か運動をさせたら」と言われたそうです。ちょうどそのころ、自宅の目の前にある幼稚園でバレエ教室が始まりました。とにかく丈夫になってほしいと、両親は考えたのでしょう。3歳の時に習い始めました。

 バレエと縁のある家族はいませんから、運命だった。もし教室が近くになくても、どこかで出合っていたと思います。

  広島のバレエの草分けである葉室潔先生の教室だった
 私、とても不器用なんですよ。先生に新しい踊りを教わっても、私だけができない。でも腐らなかった。ほかの人ができて素晴らしいと思うけど、自分は駄目だとは思わない。ポジティブに考える人間なので、あまり深刻に考えない。人と自分を比べない性格なんです。

 教室ではずっと1人遅れてはいるけど、家に帰って畳の上で何回も練習していると、できるようになる。時間をかけて稽古することがとても楽しいの。そして励みになったのが、できたときの両親の拍手。決して「なぜできないの」と怒らなかった。稽古さえ毎日やっていけば必ずできる。今もそう思います。

 そのころから、踊りが好きで好きで。本通りなどの繁華街に行くと、ショーウインドーに映る自分を見て、踊りながら歩いていたんですって。夢中になっていたんでしょう。両親は「恥ずかしいから、やめてよ」と困っていたみたい。おかげで体は丈夫になりましたが、両親はだんだんと戸惑うようになりました。わが子が何かに取りつかれちゃった、と。

(2016年1月20日朝刊掲載)

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