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連載・特集

『生きて』 バレリーナ 森下洋子さん(1948年~) <14> 平和への祈り

美を描く魂 信じて踊る

  昨年8月5日、広島東洋カープの試合を通じて平和を訴える「ピースナイター」に参加。マツダスタジアム(広島市南区)で始球式をした
 この日にふさわしいと思って「鳥の歌」の衣装を着ました。平和を願い、絶対に希望を失わないという思いが込められた踊りなんです。マウンドで衣装の上にユニホームを羽織って投げました。試合途中にはマイクを握り、球場の皆さんにお話ししました。被爆2世であること、原爆に遭った祖母が感謝の気持ちを忘れず、明るく強く生きたこと…。

 次の日の6日は、平和記念式典に参列しました。私の背中に白い羽は生えておりませんが、平和と美の使者として、平和を祈って踊り続けたいと、あらためて思いました。

  世界を回り、被爆地の重みを肌で感じてきた
 バレエでたくさんの国に行きましたが、どこでもヒロシマはよく知られています。「家族は大丈夫だったの」って聞いてくれる人もいる。世界中の人が、平和を望んでいると実感しています。人間を変えてしまう戦争や原爆は絶対にいけない。経験した日本人だからこそ、声を大きくして言えるし、言うべきです。

 被爆70年が過ぎた今も、苦しんでいる人がいます。大やけどをした祖母を思い起こしても、本当に悲惨な出来事だった。まだまだ紛争や戦争で傷つけ合い、核の開発をしている国もある。でも人間は醜い戦争も起こすけれど、美しいもの、素晴らしいものを描く魂も持っています。何としても核なき世界、手と手を取り合う時代をつくれるよう、努めていかねばなりません。

  松山バレエ団は中国で公演を重ね、芸術を通じた友好を育んできた
 松山樹子先生と清水正夫先生は1958年に初の中国公演をした。国交回復前で、両国の関係が大変だった時から、中国の映画をバレエ化した「白毛女」を創り、交流してきた。とても勇気ある行動です。その後、私が中国で踊った時、周恩来首相から「変わらぬ友情を育みましょう」との言葉をいただいた。

 私たちはバレエを通じ、皆さんに平和や幸せになっていただけるよう励んでいる。2人の先生が切り開いてきた道が、この思いの原点にあるのです。

(2016年2月5日朝刊掲載)

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