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証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 山城栄子さん―オレンジ・赤の光走った

山城栄子(やましろ・えいこ)さん(92)=広島市西区

左目失明。励ます仲間と出会い立ち直る

 人と会って話をする―。そんな日常生活の中でも、山城(旧姓兼品)栄子さん(92)は、原爆を思い出します。被爆後に左目を失明。周囲の視線を感じると「左目を見られているのでは」と悔しさと悲しさが胸に迫るからです。しかし近所の優しい住民と出会ったことで、今は人前にも恐れず出られるようになりました。

 21歳だった当時、広島市舟入川口町(現中区)にあった軍需(ぐんじゅ)工場、関西工作所で事務をしていました。1945年8月6日は、呉工廠(こうしょう)(呉市)に行く予定でした。汽車に乗るのに必要な書類を勤務先に忘れたため、市内電車に乗って取りに向かっていました。

 爆心地から約1・2キロの舟入仲町(現中区舟入中町)にさしかかった時、オレンジと赤が混ざった光が目の前を走りました。床にうずくまると同時に「ドン」という音が響き、電車は急停止。暗闇(くらやみ)になり、床下から「シュー、シュー」という音と一緒に煙が上ってきます。「このままでは焼け死ぬ」。運転士の背中をたたいても反応がなく、手探りで動かしたドアの隙間(すきま)から脱出(だっしゅつ)しました。

 地面をはって進むうち、下の方からゆっくりと明るくなりました。倒れたり燃えたりしている沿線の家を見ても「電車の事故で大変なことになった」としか思えませんでした。勤務先に着くと、近くの市立第一高等女学校(現舟入高)講堂の屋根に上って、火を消していた学徒動員中の生徒が言いました。「全市一斉に燃えている」。初めて空襲だと分かり、自分のけがにも気付きました。

 己斐町(現西区)の自宅へ、動員されていた県立広島第一中(現国泰寺高)の「吉村君」や男性工員と帰り始めました。川は泳いで渡り、壁の倒れた自宅に着くと、父は背中から足にかけて大やけど。母、姉もやけどをしています。西高等女学校(原爆で廃校)1年の妹は建物疎開(そかい)作業で土橋(現中区)に行ったまま帰っていません。吉村君と再び市中心部へ、捜(さが)しに向かいました。

 市電の線路沿いに進みましたが、すれ違う大人も子どもも、男も女も皮膚は垂れ下がり髪は焼けただれ、ほぼ裸。「水をください」「お父さん、お母さん」と言いながらゆっくり歩いています。土橋近くの天満川の土手には人がずらっと転がり、1人ずつ妹の名前を呼んで確かめても返事はほとんどなし。妹は今も見つかっていません。

 「一家の柱」と期待された軍医の兄もフィリピン・レイテ島で戦死。さらに秋ごろ、畑作業中に虫が入った右目を閉じると、視界は真っ暗に。左目が見えないことが分かりました。眼科でも原因は不明、治療(ちりょう)も効きません。運動好きで活発だった若さ真っ盛りの時だけに、あまりにもショックでした。

 40代の時、医師から原爆の放射線の影響(えいきょう)だと言われました。職場で目をからかわれて心は一層傷つき、「被爆体験は一切話さない」と決めました。

 視線が気になる毎日でしたが、近所の鈴が峰小(西区)で住民が学び合う「空き教室大学」に80代から通い始め、気持ちが変化。最年長で通う自分が「目標だ」と仲間に励まされ、親切が身に染みました。昨年初めて被爆体験を話し、つらさを分かち合いました。

 同小の児童にも証言。身動きせず聞き入り、戦争と平和について考えた感想を寄せてくれた次世代をうれしく思いました。兄と妹を奪(うば)い、自分の人生も変えた戦争。「絶対にいけない。夢や希望を吸い取り、みんなが悲しい思いをする。誰もが助け合い、幸せな世界でいてほしい」。そんな未来を心に描いています。(山本祐司)

私たち10代の感想

原爆で心の傷 今も深く

 人と話すたび、失明した目を見られているような気がすると山城さんは言います。原爆は今なお人の心を深く傷つけていると気付きました。私も目を見て話すのが悪いような気がして、手元のメモに視線を落としました。つらい思いをさせたくなかったからです。話してくれた山城さんの気持ちをしっかり受け止めます。(中1目黒美貴)

感情奪う戦争 恐ろしい

 山城さんは当時、やけどをした人や、川に浮(う)かぶ多くの死体を見ても何も感じなかったと振り返っていました。今、自分の目の前にそんな光景が広がっていたら、怖(こわ)くて、冷静でいられません。戦争は人間の体を傷つけるだけでなく、感情も奪(うば)ってしまう、とても恐(おそ)ろしいものだということを忘れてはいけません。(中2岡田日菜子)

気を許せる存在 周りに

 山城さんは、空き教室大学の人とのふれあいを楽しそうに語り、次の「登校日」が待ちきれないといいます。自身のつらい被爆体験を話そうと思えるほど気を許せる人が周りにいる環境(かんきょう)は、とても大切なものです。お互(たが)いを気遣(づか)う心が生まれるからです。僕も周りの人に気配りできる人間になりたいと感じました。(高2谷口信乃)

(2016年2月16日朝刊掲載)

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