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重松逸造氏が死去 94歳 放影研の元理事長

 放射線影響研究所(放影研、広島市南区)の理事長を16年間務めた重松逸造(しげまつ・いつぞう)氏が6日、肺炎のため東京都内の病院で死去したことが15日、分かった。94歳。大阪府出身。自宅は非公表。葬儀は15日、近親者で済ませた。喪主は妻芳枝(よしえ)さん。後日お別れの会を開く。

 重松氏は1941年、東京帝国大医学部を卒業。81年から97年まで日米両政府が共同運営する放影研の理事長を務めた。原爆被爆者の被曝(ひばく)線量を推定する計算システム「DS86」を日米の専門家で作成。放射線被害や防護に関する国内外の要職を歴任した。

 チェルノブイリ原発事故を受け、国際原子力機関(IAEA)の国際諮問委員会委員長として現地調査。91年に「住民に大きな影響なし」との報告書をまとめた。

 88~91年、広島県と広島市が設置した「黒い雨に関する専門家会議」の座長。世界のヒバクシャ支援を目的に県、市などが設立した放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE)の初代会長も務めた。(金崎由美)


被爆者調査 多大な貢献 ゆかりの医師ら惜しむ声

 放影研の理事長として長年、原爆被爆者の健康調査研究を指揮した重松逸造氏の訃報が伝わった15日、ゆかりの医師や研究者からは追悼の言葉が相次いだ。

 放影研の大久保利晃理事長は「チェルノブイリ原発事故の被害調査などでも対外的な貢献に力を注いだ。今の放影研をつくった人」と残念がる。重松氏の後任の理事長を務めた長崎大の長瀧重信名誉教授(東京都)は「疫学の道を通じて放射線影響についての認識を日本中に広めた」と惜しんだ。

 初代を重松氏が務めた放射線被曝(ひばく)者医療国際協力推進協議会(HICARE)会長を引き継ぐ広島赤十字・原爆病院の土肥博雄院長は「世界のヒバクシャ支援を目指すHICAREは重松先生なしに存在しなかった」と振り返る。

 広島県医師会の碓井静照会長は「豪快な人だった。広島のみならず世界的人物だった」。広島大原爆放射能医学研究所(現広島大原爆放射線医科学研究所)の横路謙次郎元所長は「職務への献身的な姿勢を尊敬していた」と声を落とした。

 日本被団協の坪井直代表委員は「(放射線の健康影響を否定した)チェルノブイリ原発事故の調査報告などは疑問や強引さを感じたが、被爆の影響に関する調査は大きな功績がある。残念だ」と述べた。(金崎由美、田中美千子)

(2012年2月16日朝刊掲載)

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