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[グレーゾーン 低線量被曝の影響] 甲状腺がん 波紋広がる

 東京電力福島第1原発事故を受け、福島県では全県民を対象とした健康調査が続いている。そのうち事故当時18歳以下だった子ども約38万5千人の甲状腺検査で、これまでに116人のがんが確定した。被曝(ひばく)の影響なのかどうか―。健康調査では、事故後4カ月間の外部被曝線量について、回答した県民の99.8%が5ミリシーベルト未満と推計している。低線量被曝という「グレーゾーン」をめぐり、過去の統計よりも格段に多く起きている子どもの甲状腺がんが、波紋を広げている。(藤村潤平、金崎由美)

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原発事故5年。検診が大切なのは、これからだ

島根大医学部の野宗教授、福島で

 「1年間、安心してお過ごしくださいね」。島根大医学部の野宗(のそう)義博教授(65)が、甲状腺検診に訪れた親子に声を掛けた。島根県から約800キロ離れた福島県いわき市。野宗教授は2、3カ月に1度、NPO法人「いわき放射能市民測定室たらちね」が実施する検診をボランティアで引き受けている。  子どもの喉元に超音波を当て、しこりの有無をモニターで確認。角度を少しずつ変えて画像を映し、「心配なしこりはありません」「小さければ、消えることもあります」などと丁寧に説明した。食い入るように画面を見詰めた大学4年女子(22)の母親(49)は「診てもらってよかった」と胸をなで下ろした。

 県の甲状腺検査は、今月で2巡目が終わる。体制は整っているはずなのに、民間の病院やNPO法人による検診のニーズはある。なぜだろうか。

 野宗教授は「実際に画像を見せて、じっくり対話できればいいが、マンパワーが追い付いていない」と指摘する。県の検査は、保護者が立ち会えないケースが多く、判定結果は約2カ月後に郵送で通知される。小さなしこりが見つかっても、血液検査などの2次検査に進むレベルでなければ、本人や家族へのケアはない。その不安を緩和しているのが民間の検診だ。

 ただ、医師を集めるのは容易ではない。たらちねは、全国の約300人に依頼メールを送るなど医師の確保に駆け回ってきた。広島大出身の野宗教授は、旧ソ連の核実験場があったカザフスタンで甲状腺がんなどの患者を10年以上診ていた。「これまでの知識や経験を福島でも生かせる」と名乗りを上げた。

 野宗教授が、気がかりなのは関心が薄れていることだ。たらちねでは、検診を始めた2013年3~12月が3051人、14年が2428人、15年が2270人と減る傾向にある。県の検査でも受診率の低下が懸念されている。チェルノブイリ原発事故で子どもの甲状腺がんが増えたのが5年後だったのを踏まえて「本当に検診を受けてほしいのは、これからだ」と訴えている。

がん発見相次ぐ

 放射線による健康被害はさまざまあるが、チェルノブイリ原発事故では、主に子どもが放射性ヨウ素131を体内に取り込むことで起きる甲状腺がんが多数見つかり、問題化した。福島県の甲状腺検査は、チェルノブイリの事例を踏まえ、子どもの健康を長期にわたり見守るため、2011年10月に始まった。

 1巡目は「先行検査」。福島第1原発事故当時に18歳以下の子ども約37万人が対象で、甲状腺の状態を把握するのが目的だった。ところが、15年末までに100人のがんが見つかり、切除手術が行われた。

 2巡目は、14年4月に開始。事故後約1年間に生まれた子どもを加え、対象は約38万5千人に拡大した。「本格検査」とし、甲状腺の変化の有無を継続して確認している。これまでに16人のがんが確定した。

 3巡目以降は、対象者が20歳までは2年ごと、それ以降は5年ごとに実施する予定。ただし、将来の検査間隔については、有識者の検討委員会で今後議論される見込みだ。

発症率50倍 原因明らか

津田敏秀・岡山大大学院環境生命科学研究科教授(疫学)

 福島の子どもの甲状腺がん多発が原発事故の影響であることは明らかだ。われわれが県民健康調査の検診データを解析すると、1巡目の検査で、多い地域は全国と比べ発症率が50倍だった。2巡目でも新たに見つかっている。多くの人を対象に一斉に検査すると自覚のない症状が数多く見つかる「スクリーニング効果」では説明できない。

 世界保健機関(WHO)も当初から発生を予測していたが、さらに上回る規模だ。チェルノブイリでは原発事故の翌年から子どもの甲状腺がんが増え、5年後からさらに跳ね上がった。福島についても懸念している。

 だが、県民健康調査の検討委員会は、放射線被曝との関係を認めない。現状を過小評価する背景として二つのことが言える。そもそも住民の被曝線量が実際より少なく見積もられている。事故直後、甲状腺に影響を与える放射性ヨウ素が大量に放出されたが、混乱の中で初期被曝の実態は把握できていない。

 もう一つは「被曝線量が100ミリシーベルト以下なら健康影響はない」という「神話」だ。原発労働者らの調査で、ごく低線量の被曝でも人によっては健康影響が出ることが明らかになっている。しかし日本では、「影響がないか、あっても分からない程度」だと曲解されている。

 だから、甲状腺がんが増えても「この程度の線量でがんになるはずがない」と片付ける。対策は後手に回る。線量という数字で全てを判断するのでなく、まずは人間に起こっている現象や症状に注目すべきだ。

 小さい子ほど放射線の影響を受けやすい。年齢別に、被曝を避ける対策が必要である。被爆者の先例にならい、健康手帳の発行などで県民の健康を継続的に把握できるようにすべきだろう。対象を18歳以上、福島県外に広げることも急務だ。

過剰診断と手術は心配

稲葉俊哉・広島大原爆放射線医科学研究所教授(腫瘍学)

 甲状腺のしこりや嚢胞(のうほう)は珍しくない。小さければ消滅したり、さらに小さくなったりすることがある。とてもゆっくり進行するので、自分で気付いてから診察を受けても遅くない。無理して見つけて手術しても、死亡率を下げる効果はない。

 だが現在の超音波診断装置は優秀なだけに、甲状腺に当てれば小さなしこりも見えてしまう。昨年4月から福島県の県民健康調査の検討委員会で委員を務めているが、2011年の調査開始時に「甲状腺がんがどんどん見つかるだろう」と指摘していた。中間取りまとめにある「多発」は想定内だ。

 福島県内で放射線量が比較的高い地域の子どもでも、放射線はさほど浴びていない。チェルノブイリ原発事故の後、周辺地域では普通なら考えられない5歳以下の甲状腺がんが多発した。幸い福島は違う。

 むしろ過剰診断と手術が心配だ。特に子どもには身体的、精神的な負担が過大となる。「健康管理」と「負担」のバランスを考えると、通常なら甲状腺の検診は行うべきでない。それが医学界の一般的な認識である。

 とはいえ、県民の不安を和らげることは不可欠だ。原発事故という前例のない事態が起こってしまった以上、今後どうなるかは断定できない。長期的に、全力で健康を見守っていかなければならない。

 その点で懸念しているのが、受診率の低下だ。広島の原爆被爆者の調査を例に考えれば、健康管理という「見守り」と、検診データを集めて被爆と病気との関係を探る「疫学調査」は別の組織が担ってきた。一方、県民健康調査は両方を兼ねており、位置付けがどっちつかず。県民には意義が分かりにくい。このままでは調査の継続も危うくなりかねない。持続可能な制度を検討し直すべき時だろう。

(2016年3月2日朝刊掲載)

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