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戦地の日章旗 福山帰還 70年経て 娘から娘へ フィリピンで死亡 米兵が保管

 第2次大戦中、フィリピンで戦死した福山市出身の舘上角一さんの日章旗が、約70年ぶりに同市加茂町の遺族の元に戻った。旗を保管していた米兵の娘から国際便で届いた。舘上さんの長女日出子さん(82)は「父の形見が戻ってうれしい」と感激している。

 「必勝祈」「至誠奉公」…。縦74センチ、横107センチの旗に、贈る言葉と約60人の親族たちの名前が並ぶ。白地は茶色を帯びているが、日の丸は鮮やか。小学生のころに記した自分の名前を見つけ、日出子さんは当時を思い返した。

 角一さんは1945年2月にルソン島で戦死。41歳だった。遺骨は戻らなかった。「終戦後、箱に入った死亡の通知だけ届いた。悲しかった」と日出子さん。

 旗を持っていたのは米ニュージャージー州のバーバラ・オヘアさん(66)。父は45年2月、ルソン島で米軍捕虜の解放作戦に参加し、日章旗を持ち帰った。父の死後、バーバラさんが「遺族に返したい」と思うようになったという。米国在住の日本人の協力を得て昨年8月、厚生労働省に調査を依頼。11月、角一さんの旗と判明した。

 旗に同封した手紙に、バーバラさんは「子どもの頃に感じたお父様へのいとしさを再び思い出すことを願っている」とつづった。

 日出子さんは「一度も怒ったことがない、優しい父だった」と懐かしみ、バーバラさんに感謝する。日出子さんの長男和久さん(56)は「失われた祖父との時間は戻らないが、存在を忘れずにいることができる。平和な世界を願い、大切に受け継ぎたい」と語った。(高本友子)

(2016年3月24日朝刊掲載)

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