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連載・特集

[Peaceあすへのバトン] ボランティアガイド・村上正晃さん 伝える若者 輪広げたい

 原爆ドーム(広島市中区)前で、ボランティアガイドを始めて2年。広島の人間として原爆について知り記憶を伝えていこうと思っています。継承とは、自分が伝えるだけではなく、聞いた相手がさらに次の人に伝えて初めて言えることでしょう。同世代に聞いてもらえるよう工夫しています。

 もともと原爆や平和に関心が高かったわけではありません。爆心地も知らなかったほどです。きっかけは大学4年だった2014年4月、原爆ドーム前を偶然通り掛かったこと。ガイドの三登浩成さん(70)=広島県府中町=に誘われ、通うようになりました。

 ボランティアには以前から興味がありました。その3カ月前には、東日本大震災で被災した岩手県釜石市を訪れました。仮設住宅の子どもと遊んだり勉強を教えたりして、自分にできることをしてサポートする大切さを感じていました。

 三登さんの説明を横で聞き、事実を正確に分かりやすく相手の心に響くよう話す練習を重ねました。昨年8月はスタディーツアーでインドへ。現地の学校と合同で原爆展を開き、児童生徒の関心の高さに驚きました。ヒロシマを学ぼうとする「ソト」の視線に気付き、帰国後、ガイドに一層熱が入りました。

 「原爆」と聞くと「難しい」「自分に関係ない」と感じてしまう人もいます。そんな若者に声を掛けるよう努力しています。無視されたり、笑いながら「大丈夫です」と断られたりした経験もあります。それでも、原爆がさく裂した下で何が起き、その後どうなったかは、説明を聞かないと分かりにくい。まずは知ってほしい。聞いた人の感想などをブログにつづり、発信しています。

 広島を訪れるオバマ米大統領には、見学するだけではなく、被爆者や平和のために活動する人たちと対話してほしい。原爆投下が引き起こした事実を知り、核軍縮に向けた枠組みづくりにつなげてもらいたい。

 5歳でサッカーを始め高校、大学でも続けました。何かを中途半端にせず、やり通したい気持ちがあります。午前8時に起き、10時からガイド、午後5時からアルバイトの毎日。帰宅して寝るのは翌日午前2時か4時ごろ。きついけど、いろんな人との出会いもガイドの魅力です。

 この2年間で、外国人と見間違えられるほど日焼けしました。首に一筋だけ日焼けせず、白く残った所があります。名札のストラップの跡です。続けてきた「証し」だと、誇りに思っています。(文・山本祐司、写真・河合佑樹)

10代へのメッセージ

知ることから始めよう。

むらかみ・まさあき
 広島県瀬戸田町(現尾道市)出身。三原東高時代はサッカー部主将を務める。岩手県釜石市の東日本大震災や、広島土砂災害の被災地でボランティアも経験。広島修道大卒。広島市西区在住。

(2016年5月16日朝刊掲載)

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