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社説・コラム

[被爆者からオバマ氏へ] 廃絶こそ願い 伝えて 葉佐井博巳さん=広島市佐伯区

 ≪広島一中(現国泰寺高、広島市中区)2年、14歳の時に広島に入市被爆した。長年、原子核物理学を研究。広島大工学部教授として、原爆が人間に浴びせた放射線量の解析に取り組んだ。退職後は、被爆5年後にまとめられた「原爆体験記」の基となった被爆者手記のデータ化を手掛け、記憶の継承にも力を入れる≫
 オバマ米大統領は既に原爆投下を世界に対し謝罪した、と捉えている。それは2009年、チェコ・プラハでの演説にある。原爆投下国の道義的責任として「核兵器なき世界」を目指すという言葉は原爆の恐ろしさを理解し、使ったのは誤りだったと思っていなければ口にできないと思うからだ。

 その後、期待した「廃絶」へは、米大統領という絶大な立場をもっても成果を出せなかった。任期を終えようとするオバマ氏が今回、訪れることにあまり意味を見いだせない。

 あの日、死体だらけの恐ろしい光景を見た。ただ、研究者として働いていた時は、仲間に体験を一切話さなかった。米国で外国人たちと一緒に原子核研究をしたし、広島では被爆した建物の破片を使って放射線量の解析に力を注いだ。ただただデータに向き合った。「被爆者の思い」は、私が出すデータを信用してもらう上では必要なかった。

 最後に勤めた広島国際学院大を05年に退いた時、被爆者としての生き方を考え、証言活動に興味を持った。30人ほどの証言を聞いたところ、私より幼い頃の体験を語る人が多く、このままでは記憶の継承が不十分になると危機感を感じた。

 当時、「親の視点」での体験を知るために読んだのが、戦後5年後に市民が書いた165編の手記だ。夢を託し、育ててきた子どもが突然、目の前で焼け死ぬ。「母さん僕はもうだめだ。そばにおってくれ」。息子のか弱い言葉を聞きながら、なすすべがない―。核兵器の非人道性を理解するには、子を亡くした親たちの絶望を想像することが不可欠だと思う。

 広島市の専門部会で、今の市が核攻撃を受けた場合の最小限の死傷者数を推計したこともあるが、結局は核兵器が使われたら対処しようがない。市民を守る方法は廃絶しかない。それが研究者としての結論だ。

 オバマ氏の広島訪問は世界へ報じられ、原爆に関心を持つ外国人や世界の指導者もいるはずだ。そこには意味を見いだせる。核軍縮では意味がない、廃絶しかない、という世論を一層広げるため、市民、日本政府が考え、行動したい。(久保友美恵)

(2016年5月26日朝刊掲載)

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