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原爆の恐ろしさ刺しゅうに込め 広島市安佐南区の小田さん 51年前の作品初披露

 戦前、広島市随一の繁華街で10代後半を過ごした小田貞枝さん(91)=安佐南区=が、原爆ドームを描いたビーズ刺しゅうを51年前に作り、保管している。住まいは現在の平和記念公園(中区)の一角にあり、ドームの前身の県産業奨励館をよく眺めていた小田さん。オバマ米大統領の広島訪問をきっかけに、入居している高齢者施設の職員に初めて刺しゅうを見せた。(橋原芽生)

 山県郡南方村(現北広島町)生まれの小田さんは16歳だった1940年、和裁の講師だった姉を頼って天神町(現中区中島町)で下宿生活を始めた。国鉄の車掌になり備後十日市駅(現三次駅)近くに移り住む44年まで青春期を過ごした。

 姉は奨励館に勤める人たちの着物を縫う仕事をし、小田さんは出来上がった服を呉服屋へ届けるのを手伝っていたという。「すずらん灯に照らされた本通りから元安橋に出ると、パーッと光る奨励館が見えた。川面にゆらゆら映る姿を見て、姉と『きれいじゃね』と話したものです」と小田さん。繁栄の象徴はあの日、爆風と熱線で破壊された。

 原爆投下の3カ月後、原爆ドームに近い猿楽町(現中区大手町)のバラックで姉と暮らし始め、47年に結婚。3人の子どもを育てた。60年ごろに趣味でビーズ刺しゅうを始め、65年に原爆ドームの作品(縦20センチ、横30センチ)を仕上げた。オバマ氏の広島訪問を前に「広島のシンボルが一瞬で消えた恐ろしさを知って」と施設職員に見せた。

 オバマ氏が原爆ドームを眺めた場所は、旧天神町のすぐ近くだった。平和記念公園に立つ大統領をテレビ中継で見守った小田さんは「短時間の訪問で、死んでいった人の声なき声を理解できるのか。刺しゅうを見せて原爆の恐ろしさを伝えたかった」とつぶやいた。

(2016年5月31日朝刊掲載)

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